人事屋修行記
ノート 店主は入社以来、システム手帳をずっと使い続けていますが、最近はもっぱらスケジュールの管理と、つねに携帯しておきたい資料を綴じるために使っていて、仕事でのメモやアイデアの整理にはA4版のノートを使っています。 課長時代までは、実務のTO DO…
企画業務 人事課長を外れ、企画業務の専任になったわけですが、正直いってどのように進めていけばいいのかさっぱりわかりませんでした。 それまでの店主は、入社以来ずっと人事労務の実務担当として仕事をしてきました。自分で長期の計画を立てなくとも、実…
専門職 2010年4月の定期人事異動にあたり、上司の常務取締役管理本部長から呼び出され、人事課長を外れて人事課付きの専門職を命じられました。 人事課長を2年間やってきたのですが、管理本部長からさまざまな企画テーマを命じられていながら、まったく対…
やまと 2009年当時は3回目の単身赴任で、まだ体力も気力も十分だったので、夜は食事を兼ねてよく飲みに行っていました。当時前職の本社オフィスは西新宿の高層ビルにあり、飲むとなるとビル内の飲食店が中心でしたが、変り映えがしないことと、コスト面であ…
NHK 2009年当時、店主は人事課長として、組織人事、任免、評価、昇格そして採用と広い範囲を担当していました。当時はリーマンショックによる景気の冷え込みで、一時的に新卒採用は落ち込んだものの、各社は単純な人数の絞り込みはせず、厳選採用という方…
はたらく勉強会 採用部門の係長をやっていたときに採用イベントなどで知り合い親しくなった他の会社の人事担当者とは、定期的に飲みに行ったり、温泉旅行やBBQなどで楽しくお付き合いをしていました。そんな中、人事の専門性を磨いていくために、まじめな勉…
上司 店主は2006年に課長になったわけですが、本社人事に行ってからずっと5つ年上の先輩と二人三脚で仕事をしてきました。その先輩には採用面接もしてもらい、入社後も工場の人事と本社の人事という関係で、ずっと目をかけてくれ、可愛がってもらっていまし…
工場集約3 工場集約についての会社の基本スタンスは、分散している拠点を集約して経営オペレーションの効率を上げることが目的であり、社員には原則、全員拠点異動をお願いする、ただし、家庭の事情などで異動できない場合には、転身支援の取扱いを適用する…
工場集約2 工場集約の社内展開は、4月末の決算発表のタイミングで行われました。発表日の午前中に取締役会で決議し、15時に東証に投げ込みをします。それと同時に社内向けにメッセージを発信し、あわせて各本部ごとに本部長から部課長に対し、詳細の説明を…
工場集約1 雇用調整の実施に見通しがついたタイミングの2009年2月、店主は管理本部長に呼び出されました。川崎と岩手の2工場を閉めて宮城の工場に集約する極秘プロジェクトをスタートするので、人事として参画して欲しいとの話でした。 川崎工場は、社名…
雇用調整 2008年の秋、米国のリーマンブラザーズという投資銀行が経営破たんしたというニュースは見ていましたが、当時の店主はそれがどのような影響を自分のまわりにおよぼすのかまでは、想像力が至りませんでした。 今思えば、それよりさかのぼること1年…
内定者懇親会 店主の前々職の会社は、自動車やオートバイの部品を作っている会社で、新卒採用においてはエンジニアとして機電系の学生をメインで採用していました。会社側はそんなに意図してはいませんでしたが、集まってくる学生は結果的にクルマやバイク好…
キャリア採用 本社の人事課長として復帰し、新卒採用も落ち着いてきた夏前に事件は起きました。キャリア採用の担当者が突然会社を辞めると言い出したのでした。聞くとすでに転職先は決まっていて、退職のタイミングも変更できないとのこと。後任人事について…
役員退任説明 人事の仕事の中には、役員の処遇管理といったあまり社員のみなさんには馴染みのない仕 事もあります。役員も当然、仕事をして報酬を受け取ったり、ボーナスをもらったりする わけですが、役員という特殊な立場のため、その仕事に関わる人はごく…
人事部長交代 2年間の給与厚生課の建て直しに一応のメドをつけ、店主は2008年4月に新宿の本社へ転勤し、1年ぶりで人事課長に復帰しました。当時の人事課の分掌は、人事、人事企画そして採用業務を加えた広い範囲を課長以下6名でこなしていました。 リー…
年末調整 給与厚生課の課長になってはじめての年末調整がやってきました。前々職では給与計算業務を自社内で行っていたため、年末調整は人事部にとって一大イベントでした。10月頃から綿密な計画を立て、他の業務などのスケジュールも調整しながら、年末調整…
民事裁判 店主が2007年に給与厚生課の課長になったとき、大きな問題を抱えていました。前任の課長が規定の解釈を間違い、定年退職した社員に退職金を多く支払ってしまっていたのでした。過払いの対象者は3名、うち2名は説明して無事返してもらいましたが、…
内部統制 2000年代に入って会社を取り巻く環境として大きく変わってきたことのひとつに、コーポレートガバナンス(企業統治)への関心の高まりがありました。それまでわが国の会 社経営においては、ともすると企業は経営者や社員のものといった感覚があった…
社長交代 店主の当時の会社は、大手自動車メーカー系列の部品会社で、親会社の資本が4割ほど入っていました。基本的に人事制度などはまったく別であり、人の行き来も親会社からの転籍もしくはそれを前提とした出向などの一方通行のみで、人材面でのつながり…
現場実習 2007年の新卒は以前にも書いたとおり150名近い人数を採用しました。採用人数を増やすということは、毎年繰り返しているオペレーションにも少なからず影響が出てきます。 人事管轄の仕事であれば自分たちで工夫をすればいいのですが、他部門にも関係…
給与厚生課 2007年4月の組織人事で、店主は人事課長から給与厚生課長に異動となりました。前年度は人事課長として、組織や配置、任免、昇格、評価といった人事と、新卒、キャリア両方の採用、それと給与計算ならびにグローバル人事と、その後に3つの課で担…
大量採用 2007年4月入社の新卒採用はリーマンショック前の好景気で、採用人数を大幅に増やした年でした。それまでは、毎年文理あわせて100名程度を採用していたのですが、開発の現場はつねに工数不足で技術者派遣を大量に投入し、客先からのオーダーに対応…
体調管理 2007年に給与厚生課の課長になったわけですが、当時の給与チームは長年にわたって業務改善がなされないまま放置され、あわせて人材育成もほぼ当事者任せで何もない状態、そこにシステム入れ替えの仕事が上乗せされ、忙しさが退職やミスをさらに増や…
助っ人 2007年の4月に組織変更があり、店主は給与チームを専任でみるようにと、給与係は給与厚生課に格上げとなり、そこの課長をすることになりました。当時の給与チームは、人事情報システムの入れ替え作業が進んでいる中で、担当者の退職や産休などが続き…
新卒採用 2006年は久々に人事部が立ち上がった年度でしたが、リーマンショック前の好景気による企業の採用意欲の高まりから、ヒト領域の喫緊の課題は、いかに現場が必要としている人材を確保するかということでした。 当時から中途採用による即戦力エンジニ…
評価制度改定 2005年9月の組合定期大会において、2年以上かけて労使で議論をしてきた組合員人事制度は採決保留ということになり、予定していた2006年からの切り替えができなくなってしまいました。 一方で2001年の従業員意識調査において浮き彫りとなって…
e人事システム 2006年に宮城の工場に転勤になったものの、人事課長という役責は変わらず、人事情報システムの更新プロジェクトも引き続き担当し、それも徐々に佳境に入ってきました。 人事情報システムは、従業員の属人情報の入れ物ですので、所属や評価と…
転勤 2006年の6月に会社に入って5回目となる転勤をしました。新宿の本社から宮城の工場に勤務場所を移したのですが、課長のポジションも、担当範囲もまったく変わりません。当時も給与計算部隊を人事課に抱えており、課題が山積みだったので、そこを重点的…
別れ 課長になって2ヶ月ほど過ぎた5月のある日、部長と一緒に宮城の工場へ出張すべく、朝東京から新幹線で移動してきました。工場について作業服に着替え、ひと段落した頃、とんでもない知らせが飛び込んできました。 部下で海外駐在を担当していた主任が…
昇進 マネジメントアセスメントの結果、店主は2006年の4月に昇格し、同時に人事課長に昇進しました。当時の人事課は、新宿の本社に人事係を置き、宮城の工場に給与厚生係を置くという、メンバーを2ヶ所に分散している形でした。 前年の4月から両方の係長…