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IVY Note No.1

ユニクロ会長の柳井氏と紳士服ブランド「VAN」創業者の息子で元副社長の石津祥介氏との対談が2019年11月29日付けの日経新聞朝刊に掲載されていた。

 

VAN創業者石津謙介氏は、原宿にユニクロの店舗ができたとき「これこそ夢見ていた仕事だ」と言ったという。それは、定番に忠実な品ぞろえと、だれしもが買える値段という謙介氏がおよそ70年前に目指していたものであったからである。

 

太平洋戦争直後の日本。焼野原で生きることに精一杯だった若者が身に着けていたものは、国民服か学生ならば学ランであった。戦前から一部若者の間ではモボやモガと呼ばれる海外の映画スターの服装をまねたものがあったものの、とてもファッションと呼べるような代物ではなく、不良の烙印を押されていた。

 

戦前からわが国には、服装のことを語るのは男らしくないという風潮があり、学生は学ランを着るものという社会通念の土壌になっていたことは間違いない。

 

とはいえ、いつの世のなかでもやはり格好よくいたいという欲求を持つのは、あたり前のことである。服飾のサブカルをまったくもっていなかった日本男性の目にとまったのは、進駐軍である米兵の休日スタイルなどであった。

 

街中で見る米兵に触発された若者たちは、さらに情報を求め、米兵が持ち込んだ雑誌やアメリカの映画やホームドラマなどを教科書とした。しかしそこには何をどのように着ればいいのかという先生は存在せず、依然として若者たちはトンネルを抜けることができずにいたのであった。

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そのような中「街には学生や若者が着るにふさわしい既製服というものがまったく存在しない」と気が付いた男がいた。石津謙介氏である。彼は当時米国を席巻していた「グレイ・フランネルを着た男」に代表されるアイビー・リーグ・ルックに目を付ける。

 

アイビー・リーグとはハーバードなどの米国東部の8つの大学で構成されるフットボール連盟のことを1933年にヘラルド・トリビューン紙が呼んだのが語源とされる。これら名門校の卒業生が身に着けているファッションは、育ちがよく、高い教育を受けた成功者のシンボルであった。

 

石津氏は、これらアイビー・リーグの学生たちのキャンパスルックに目を付けたのである。もともと英国の伝統校をお手本にしていたこともあり、身に着けているアイテムは英国発祥の定番も多く取り入れられていた。これこそが服飾のサブカルをまったくもっていない日本の若者たちに合う服と考えたのであった。