最近読んだ本で、店主がこれまで働いてきて、ずっと言い続けていることと同じ内容が書かれていて、かなり感動した。先日HD労働情報で紹介した書籍である。
「言語行動」というアドオンこそが、個人の体験学習を言語化しチームの学習へと昇華できること、チームでコミュニケーションを取ることでプロジェクトを前に進められること、つまり他の動物に比べ、これほど人類が際立つ原因となっているのです。
店主はこれまで、「文字と印刷技術があるおかげで、我々はさまざまな課題に直面したときに、イチから自分で原理原則を見つける必要なく、過去の偉人たちの成果を使って解決してきた。自らや社内に知見がなければ、まず書籍にあたれ!」とアドバイスしてきた。
企業における人材育成は、そもそも「会社として業務上必要な技能や知識を付与」することである。最初は社会人としてのマナーや振る舞いからはじまり、専門知識や組織を通じて仕事をすすめる方法など、社員の成長段階にあわせてプログラムを組み、戦略的に育成を行う。
その究極の姿は、「自ら課題を設定し(役割が上になるほど新しいことだらけなので)、その解決に必要な能力を自分で身につける能力を獲得する」ことである。こういう状態になれば、会社が状況を見て教育という個々人のバージョンアップをはかる必要がなくなる。ましていまのような変化のスピードの速い時代であればなおさらだ。
この能力は本来、大学などの高等教育機関の役割であり、大卒者を採用すれば全員にインストール済みなはずなのだが、読者のみなさんがご承知のとおり、大学全入時代の今日、それは望むべくもなく、よって企業が肩代わりしている状態だ。
そもそも新入社員以外は、仕事のやり方がわからなければ、担当する仕事の目的を考え、前任者が残したファイルや資料をひっくり返し、マニュアルなどを調べて自分で最適なやり方を考え、最後に上司や先輩に「このやり方でいいですか?」と確認するくらいが一人前の社会人というものであろう。
ここで大切になってくることは、「日本語が読めて理解でき、話して書けること」である。この能力さえあれば、多少学生時代の成績が悪かろうとも、仕事に就いてからの努力次第で十分に挽回できるのである。
そして日々現場で起きるさまざまな問題や課題は、この能力さえあればほぼ95%は解決できるのである。なぜなら自分や社内にその知見がなくても、世の中にはその知見はかならずあるのだ。我々はロケットを火星に飛ばせなどというミッションを与えられているわけではないのである。
そういっては部下や同僚を叱咤激励してきたのだが、数年前に驚きの書籍に出会ったのである。
「はじめに」ですでに触れていることですが、結論を先に申し上げますと、日本の中高校生の読解力は危機的と言ってよい状況にあります。その多くは中学校の教科書の記述を正確に読み取ることができていません。なんだ中高校生か、と思わないでください。読解力というような素養は、ほとんど高校卒業までに獲得されます。
なんと高校生の半数以上が、教科書の記述の意味が理解できない、というのである。すでに企業においても弊害が出始めており、仕様書を正しく理解して、手順書どおりに作業をし、報・連・相がきちんとできるあたり前の人材が、コストをかけても採用できないという声も聞くという。
これでは、自分で勉強して知識、技能を習得するどころか、メールやマニュアル、連絡文書などもきちんとした理解ができないし、教育すらできない、ということになってしまう。心当たりのある企業の担当者は、日本語の読解力にもっと注意を払うべき時期に来ているのかもしれない。