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人事屋修行記(第20話)

初年末調整

 

勤怠管理や給与計算という日常のルーティンがなんとなく様になってきた頃、人事の一大イベントである年末調整がやってきました。10月頃に上司の係長から、「11月に年末調整をしなければいけないので、赤坂さんまずは研修会に行って勉強してきて」といわれ、外部の研修会に行ってみました。

 

年末調整の法律知識についての研修でしたが、今思うとちょっとレベルが高く、年末調整とはそもそも何ぞやということがわかっていないレベルのボクには、フィットしなかったような内容でした。

 

現物給与の課税方法や、課税非課税判定のポイントなどにずいぶん時間を割いていて、肝心の年末調整の仕組みや流れといったものは、当然理解している前提で話が進んでいました。

 

それでも仕事はまってくれる訳もなく、年末調整の準備開始です。まず、例の給与所得者の扶養控除等(異動)申告書を配ることから始まり、期限になると回収です。回収した申告書の内容を確認していくのですが、いまのようにコンピューターに登録してある内容が印字されているなんて気の効いたことはなく、ずべて空白の申告書を配布して、一人ひとりが扶養家族をすべて記入してくる方式です。

 

申告書を全員がきちんと書いてくるはずはなく、おおよそ3分の1くらいは、内容の確認が必要な感じです。それを一人ずつ、本人のところまで行って、内容を説明し、ときには家族の状況を聞きだし、それで、扶養家族に該当するかどうか確認をしていきました。

 

そんな作業をボクと係長と先輩の3人で5百人分を処理していきます。申告書の回収が11月のなかばで、11月の給与計算が終わったタイミングで、冬の賞与計算と平行して進めます。12月の給与計算の前には終わらせておかなければなりませんので、結構タイトで時間との戦いです。そうでなくても毎晩終電で帰っているボクでしたから、この時期は、それにプラスして毎週末土日とも休日出勤でこなしていきました。

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今のように三六がうるさくないいい時代でしたので、代休は取らなくてもOK、休日勤務も8時間以上OKで、土日も最終電車まで仕事をしていました。とにかく朝、仕事を始め、夢中で目の前にある書類と格闘し、ふと気がつくともう夜の10時っていう毎日の繰り返しでした。でも不思議とつらさはなくて、とにかく仕事をこなすことに夢中でした。それに、新しいことがどんどん出て来て、それを覚えていくのもすごく楽しく感じていました。

 

そんな毎日を過ごしながら、10月の上期決算の資料作成から始まり、年末調整の準備、10、11月の給与計算、賞与計算、年末調整、12月の給与計算とたくさんのイベントをこなし、年末年始の休みまではイッキに駆け抜けた感じでした。

 

当然、そんな状態で仕事をしていますから、残業は毎月3桁前後、給料は残業手当の方が多い、それでいて遊ぶ暇もない。当時の遊びといえば土曜日が休める日は、地元、仙台の幼なじみが恵比寿でバーの雇われ店長をやっていたので、金曜日に仕事終わってからその店に直行して閉店まで飲んで、友人の家にそのまま泊まって、土曜日の朝に帰ってくるくらい。

 

年末を向かえ、実家に帰省し銀行口座の残高見たら、なんと7桁になっていました。結局、10月の給料もらってから忙しくてお金使う暇もなくて、11月の給料、ボーナス、12月の給料と残業手当がたくさんのった上に、まったく手をつけていなかったので、お金がこんなにたまっていました。まあ、後にも先にも自分の口座残高が7桁になったのは、このとき一度きりですが…。

 

新入社員として入った年から、一人の担当者として、責任を持った仕事をさせてくれた上司と先輩にホント感謝ですね。厳しくも仕事に対する姿勢を叩き込まれた気がします。

 

つづく…