テクノロジー進化のありがたさ
実は先週の土曜日から仙台の実家に来ている。父親が体調を崩して入院し、母親が実家にひとりになっているので、兄弟で交代しながら母親のフォローをすることにしたのだ。
母親は80歳。いたって元気ではあるものの、そこは年相応の元気さであり、とくに足に痛みがあり、そんなに長時間は歩けない。仙台は地方都市なのでクルマ社会である。それでも、改正前基準での政令指定都市なので、バスの便はそこそこ多い。
それでもいままでずっと父親の運転するクルマで病院や買い物に行く生活だったので、父親が入院していなくなることが、これからの生活を考えると、とても心配になっているようだあった。
お金のことは気にせずタクシーを使えば?といってはみても、そこは昭和の人である。とても気軽にタクシーを使うなどということはできないようで、バス停まで歩いてしまうのだ。
先日など真夏日にもかかわらず、むかしの勢いでバス停まで20分くらい歩いたら、家に帰ってきて具合が悪くなったという。軽い熱中症であったのは間違いない。今回は笑い話で済んだものの、少なくとも父親が退院してくるまでは、できるだけ近くにいた方がよさそうである。
ということで、クライアントさんにお願いし、毎週対面で開催している定例会を隔週でWebにしてもらうよう相談をしてみた。各社とも二つ返事で快諾してくれた。どちらの会社も積極的にリモートワークを取り入れていこうというスタンスであり、とくにコンサルについては、とくに必要な場合以外はリモートで構わないと以前からおっしゃってくださっていたのだ。
今回で2回目、のべ12日間の実家滞在であったが、つくづくIT技術の進歩と、世間の柔軟な働き方に対する許容度の深化に対して、ありがたさを感じたのだ。
いくら個人事業主とはいえ、コンサルテーションについて、「対面が基本」というスタンスでは、今回のようなケースの場合、リモートにさせてほしいとはさすがにお願いできない。クライアントさんはもともと人事に対しての感度がとても高いのだが、いまのような歴史の転換期というような世間の雰囲気があってこそ、店主もお願いすることができたのは間違いない。
それ以上にWeb会議システムをはじめとするテクノロジーの進歩によって、いまのコミュニケーションの品質が、対面と遜色ないまでに磨かれてきたということが、その前提条件としてあるのだと思う。
時代の転換点であるいま、労働契約における社員の価値のうち、「労働給付能力」の評価軸がゼロか100かから、アナログ的なきめの細かいものへと変化している。労働力供給の柔軟性といいかえた方がわかりやすいかもしれない。
昭和の時代、社員は急な残業もいとわず、社命とあればすぐにでも地球の裏まで行くような「労働力を会社へ供給する度合いの柔軟性がきわめて高い」人材は正社員として採用されたが、個人的な都合をかかえ、供給の柔軟性がきわめて高くないそれ以外の人材は社員以外の雇用形態でしか働くことができなかった。
それが、供給の柔軟性を尊重し、働き方をできる限りカスタマイズして、労働力を確保していこうというように企業側が価値観を変えてきているのだ。それを支えているのがテクノロジーの進化であることは間違いない。
店主もそのおかげでいまのような働き方や貢献?ができるのである。会社員時代、両親はおろか家庭さえかえりみることなく仕事しかやってこなかった人生の、埋め合わせのチャンスをもらったようである。クライアントさんや自宅にいる家族にも感謝しつつ、この働き方をしばらく続けさせてもらうことにしたい。