Cafe HOUKOKU-DOH

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IVYおじさんの創業日誌

趣味

「手段が目的化することを趣味という」オーディオ評論家の長岡鉄男さんが残した名言である。実に的を射ている。周囲にいるマニアなどと呼ばれる人々を想像してみるといい。そのまんまである。

 

店主は会社員時代から仕事において、「手段の目的化」ほど害になるものはない、と自分自身を戒め、同僚や部下にくどいほど繰り返し話し、指摘してきた。手段自体が目的化すると仕事によって生み出すはずの付加価値に注意が払われなくなり、生み出されなくなってしまうのだ。

 

趣味は仕事とは正反対で、手段そのものを目的にしている。手段自体に価値を見出しているのである。クルマという移動の手段に過ぎないもの自体に勝手に価値を付け、楽しんでいるのである。

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自分の中だけで楽しんでいる間は、なんら問題は起こらない。せいぜい家庭の中での経済的負担の話か、場所をとるものについては、物理的空間の話でもめる程度である。

 

しかし、この価値が同じ志向をもった人々のあいだで共有されはじめると事はやっかいになってくる。つい先日も中央線の鉄橋で線路に立ち入った「撮り鉄」が書類送検される事件があったが、動機を聴いてみるといい写真をとってネットで高額売買するのが目的だったという。目的化していた手段が「高額売買」という目的の手段化という逆回転をはじめたのだ。

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同じような現象は、希少性が高く手に入りにくいアイテムの投機目的の購入や転売といった形でも現れる。もうここまでくると、趣味の範疇を超えたというよりは、最初から趣味的興味などなく、カネを稼ぐことが目的で、それらを趣味として楽しんでいる人々の「大切なもの」を手段にしているのである。

 

こういった事態はそこまで悪質でなくとも起こりうる。やはり流行ったときは要注意だ。なんらかの趣味を楽しむ人が増えることは基本的に喜ばしいことである。世間の人々にその趣味の素晴らしさが認知され、市民権を得るのである。一方で参加する人数が増えると、一定の割合で「手段の目的化」の度合いが低い人があらわれる。

 

店主はオートキャンプを20年以上楽しんできた。はじめた頃はブームも過ぎ去った後でキャンプ場はどこも熟練のキャンパーばかりでマナーも悪くはなかった。しかしここ最近のブームでキャンプ場はどこも混雑しているという。もうそうなると行く気がなくなってしまう。

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キャンプは、宿泊設備のないところに道具を設置して食と住を満たす行為である。本来であれば山に登る途中だとか、旅の途中で宿泊する宿がないので仕方なく手段として行うものだ。この手段の目的化が中途半端だと、ただ宿泊するだけでは楽しくないということで、ほかのアクティビティを持込み、最悪は周囲に迷惑をかけるマナー違反がおこるのだ。

 

こう考えると他人の趣味をビジネスにするのは、ご法度なのではないか?と考えてしまう。しかし、店主は人々の趣味の領域も十分に商機はあると考えいる。では前述の撮り鉄や投機、転売との分かれ道はどこか?ズバリ

 

「顧客の課題解決のお手伝いができているか」

 

に尽きるのである。

 

たとえばなにかのアイテムをコレクションして楽しんでいるマニアがいるとする。このマニアはまだ手に入れることができていない「レア」なアイテムを手に入れたいと考えている。このマニアの課題は「まだ手に入れていないレアなアイテムを適正価格で入手したい」と定義できる。

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このような課題解決をビジネスにするならば、先ほどのような問題は起こらないのではないだろうか。メルカリやヤフオクなどはそのインフラをITで実現している。エンタメにおける高額転売防止のためのeチケットなど、まさにファンの味方そのものである。

 

仕事ではご法度の「手段の目的化」も趣味という観点から見てみると、ビジネスとしても意外と面白い分野かもしれない。