ふるさとに長く滞在して思うこと
8月から実家の父親が体調を崩したので、クライアントさんにお願いして、リモートにできるものは切り替え、月の半分くらいは仙台の実家で仕事をしはじめた。働き方改革の実践である。
実家で働くといっても、介護などが必要なわけではなく、いままで父親の運転するクルマで用事を済ましていた母親が、クルマという移動手段がなくなって心配になってしまい、また突然ひとりきりにすると認知症も心配なので、話し相手兼運転手をしているのだ。
両親の様子も仕事の方もおかげさまで順調である。母親の買い物に付き合ったり、病院に着替えなどを届けたりと、柔軟な働き方の恩恵を最大限享受させていただいている。
自宅はずっと仙台にあったものの、こんなに長いこととどまるのは、前々職を退職して半年ほど就職活動をしていたとき以来である。クルマで市内を走るとやはりホームグラウンドだけあって、どこも街並みがなつかしい。
一方でなくなってしまったものもある。店主にとって大きかったのは、人格形成に多大なる影響を与えてくれた3つのお店だ。
1つ目は、実家の近所にあった文具屋兼模型屋。小学校3年生のときにオープンして以来、中学卒業までほとんど毎日通った。プラモデルの作りかたからはじまり、ラジコン、そしてDIYなど、店主が家族に唯一感心される手先の器用さは、幼少時代にこのお店のオヤジに鍛えられたのである。
この模型屋、店主の成人後もかなり長いこと続けていたが、夫婦でやっていたこともあり、十数年前に閉店してしまった。このときは自分の幼少期そのものが消えてしまったような気分になったりした。
2つ目は、ご多分に漏れず、バイク屋である。といっても読者のみなさんが想像するような「バイクショップ」的なものではなく、どこから見ても近所のチャリンコ屋であった。しかし、その店構えからは想像もできないような常連が自慢のバイクを乗り付けるのである。
「小松輪業商会」という屋号だったので、先輩の当時から「闇のコマツ」と呼ばれていたバイク屋は、とにかくどんなバイクでもお客として扱い、課題を解決してしまうのである。
すでに違法改造に対して厳しい目が集まっていたが、そのバイク屋は直管マフラーの暴走族仕様だろうが、車検など通りそうにもないような派手な改造を施したようなバイクだろうがなんでも受けてしまうのだ。
店主などそのバイク屋の倉庫に眠っていたバイク2台を安く譲ってもらい、生きているパーツをかき集め1台のバイクに仕上げるという、いわゆる「ニコイチ」をやって、格安で当時ですらプレミアムが付きはじめていたバイクを完成させ、乗り回していた。
そのバイク屋さんも十数年前まで続いてはいたが、オヤジさんが亡くなったようで閉店し、いまは跡形もなくなっている。
3つ目は洋服屋、正確にいうとVAN SHOPである。ここのお店も中学3年でアイビーに目覚めた店主が、以降足しげく通ったお店である。当初は店に足を踏み入れることすら恐れ多くて緊張したものであったが、オトナになってからは、行くとおいしいコーヒーを入れてくいただくまでに出世した。
VAN SHOPに買い物に行くときは、準備が大変である。当然社長の服装チェックが入るので、気が抜けない。といっても何をいわれるわけではないのでが、30年以上通って1回だけ着こなしをほめられたことがあった。
学生のときか、社会人になってからのことかは忘れたが、とにかく若いころに、霜降りのなんでもないトレーナーにリーの生成りのウエスターナーを履き、足元はお決まりのコンバースの黒のハイカットという格好で訪ねたのだ。
そうしたら、社長は店主を見るなり開口一番「ヨッ!60年代!渋いねー」とすごい笑顔でほめてくれたのである。あのときのひとことはいまでも忘れられない。以降この組み合わせが店主の鉄板コーデになったことは言うまでもない。
VAN SHOPも社長が高齢になり引退するということで、数年前に閉店した。この3つ目のお店が閉店したときに感じたのは、自分という存在を形づくり、とても大きな影響を与えてくれた存在が次々と消え、とうとう1つもなくなってしまったということであった。
これからの自分は、なにを頼りに生きていけばいいのか?そのくらい心の中に大きな穴がぽっかりと開いた感じだったのである。今回それぞれのお店の跡地を通って、そんなことをふと思い出したのであった。
当時の気持ちとしては、偉大なる先生というか、自分を認めてくれる応援団というか、そういった存在を失くしてしまい、とても不安だったのであろう。一方今回、これだけの年月が経ち、すっかりとそのことを忘れていたことにも気づいた。
その後数年が経ち、どの分野もなかなかアップデートができないでいると思っていたが、自分なりにいろいろ調べたり、考えたりして次なるアイデアを蓄えていることに気がついた。本当の意味で師匠のもとを卒業したようである。
この気づきはちょっとした自信になったようである。今後は師匠たちの教えを踏まえつつ、店主なりのオリジナルを出していきたいと思うのであった。