Cafe HOUKOKU-DOH

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IVY Note No.35

よりどころ

店主はときどき、世の中にあふれるファッションや服装を見ていると、ホントに自分はアイビーに出会えてよかったと、しみじみ思うことがある。

 

小学校高学年から中学の思春期真っ只中の時期、人とは違ったカッコイイ服装がしたくて、わからないながらも貪欲にどんな格好がいいのか、試行錯誤をしていた。

 

小学生のころには、軍服にあこがれ米軍放出品のジャンク市などで、ナッパ服のようなアーミーカラーのジャケットを着て学校へ通っていた。

 

中学になると、まず変形学ランである。ちょっと太めのボンタンやバギーといったズボンに始まり、短ランが買えないので、わざとサイズの小さくなった学ランを着たりした。

 

私服は俗にいうヤンキーファッションで決まり。当時はなめ猫横浜銀蝿など、ヤンキーファッションのお手本には事欠かなかった。しかし、ヤンキーファッションは校則と先輩との格闘である。なぜ、カッコイイ服装をしたいだけなのに、逆に周囲の目を気にしなければならないのか。

 

また、それらの服装は、いわば周囲の見よう見まねであった。カッコイイコーデを見つけて真似たとしても、それでそろえたアイテムはほかの着回しがわからず、結局自己流でおかしなコーデになるか、いつも全身同じコーデかのどちらかであった。

 

マストアイテムや鉄板コーデという、一本筋の通った服装の基本がまったくわからないのである。(ヤンキーファッションに服装の基本があるとは店主は思えないが)なにごとも基本に忠実で生真面目な店主には、ここが悩みの種であった。

 

ところが中学3年のときに姉のいる友人が着ていたアイビーアイテムを見て、衝撃を受けた。ちょうど80年代前半の第2次アイビーブームのころである。

 

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これまでと決定的に違ったのは、ルールと参考書の存在であった。ファッションの初心者にとって、これほどありがたいものはなく、ポパイとホットドックプレス、メンズクラブを勉強することで、どんなアイテムをどのように組み合わせるのか、それはどこで売っているのかが、すべてわかるのである。

 

当時のアイビーは、創世記の堅苦しい「ネバならぬ」式の鉄のルールは、基本として押さえておくべきもの、といったように柔らかいものになっていたし、スピリットという文言が登場し、アイビーファッションはライフスタイルを表現する1つの重要な手段、という位置づけになっていた。

 

しかしこの、「基本として押さえておくべきもの」の存在は相当に重要であった。ベーシックアイテムとその鉄板コーデを数パターンインプットするだけで、その基本に対してアイテムを入替えてためしたり、戻したりすることができるのである。

 

そのような試行錯誤により、自分なりのコーデを試したり、新たなアイテムにチャレンジしたりと自身の感覚を研ぎ澄ましていくこともでき、さらにその先には、匂いというか、雰囲気、存在感などで服装が人格そのものになっていくのである。

 

その際にとても大切なことは、基本を押さえていて、そのうえで自分なりに工夫をしたり、創造をしているということである。これがある意味自信にもなっていると思う。服装術という自己表現の場で、寄って立つところがあることで、責任ある服装ができることは、おとなにとって重要なことである。

 

服装術の基本は、「相手に不快感を与えないこと」である。なにをどう着てもいい世の中だからこそ、TPOを考えて、このコーデであれば今日のこの場所はOKと判断できることは大切なことだ。

 

なので店主は若いころからアイビーを学ぶことができて本当によかったとしみじみ思ているのである。逆にアイビーを知らない世代が、どのように服装術の基本を学んで、TPOにあわせた自己表現をしているのか、自身に置き換えてみるととても心細くなってくるのだ。こんな心配をしているのは店主だけなのだろうか。