最適解
転勤後の担当は、ほとんど今までと変わらず、給与計算が主担当業務でした。勤怠は人数も多いということで、宮城地区の各拠点ごとに担当者がいて、店主としては川崎工場時代にくらべてその部分は減ったのですが、代わりに製造派遣社員の管理を担当することになりました。
どちらの工場も同じ会社の工場で、そこの人事の仕事ですから基本的に同じ分掌、規定で運営しています。しかしながら、同じ仕事をするにもやり方がここまで違うかというくらい違っていて、まずはそのことにビックリさせられました。
例えば、従業員の休暇の申請、管理ですが、川崎工場では現在の電子申請を紙で行う「勤怠届」という申請用紙で一方通行で申請し、その処理結果や有休の残日数などは勤怠残業実績管理表が毎日紙で配られ、その内容を一人ひとりが確認をします。
ところが宮城地区では、勤怠届が存在せず、「休暇カード」という一人一枚のカードが使われており、そのカードに有休の申請をします。休暇カードは、人事の勤怠担当者がシステムに入力し、確認印を押して職場に返却します。カードは職場に保管されていて次回申請時にまた記入して提出するという往復でずっと繰り返し使いますし、毎年の付与日数もこのカードに記入していきます。
ちなみに勤怠管理のシステムは当然のことながら全社で同じものを使っており、業務フローも同じになるはずなのですが、このように違っていました。宮城地区では、有休の残日数がカードとシステムで二重管理になっており、またカードを使いまわすので、各工場を頻繁に応援などで異動する場合には、カードも一緒に職場を動かなければなりません。
さらに休暇以外の勤怠申請には、決まった帳票がなく、出張やIDカードの打ち忘れ、打刻時刻の修正など、すべてメモ用紙か口頭で処理をしている状態でした。また、カードを使いまわすので、途中でなくなったり、有休の残日数を二重管理するので、カードとシステムの残日数が合わないなど、問題の多い仕組みでした。
なぜフローが違っていたのかを探っていくと、システム導入時に川崎工場はシステム部門の設計どおりの運用にすべく休暇カードを廃止し、申請帳票を新規に導入してイッキに変えてしまったそうです。宮城地区は、同じく廃止を目指したのですが、職場の抵抗が大きく廃止できずにカードが残ってしまったそうです。
店主はその後、休暇カードを廃止して勤怠届に変更するのですが、このカードを廃止して新しい帳票を導入するのにものすごい反響があったことを今でも覚えています。別にルールや処遇を変えるのではなく、申請に使う帳票を変えるだけなのですが、人間はやはり「変わる」ということには非常に抵抗感を示すものなのだと教えられたのを覚えています。
同じシステムを使ってもこれだけ運用も帳票も違うわけですので、その他の業務はいうまでもありません。弔事の手配、会議室の予約、作業服の払い出し、ロッカーの管理、来客対応などなど、あげていったらキリがありません。
店主は、転勤によって、同じ目的で同じ仕事をするのであれば、最適なやり方は一つに集約されていくべきであり、工場人事の業務は全拠点標準化するべきだという考え方をより強く持つようになりました。まさに川崎工場だけにとどまっていては、気がつかなかった考えであり、違った環境を経験することの大切さを強く感じたものでした。
つづく…