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人事屋修行記(第42話)

合併

宮城の工場に転勤した翌年の1996年夏頃、社内の動きがなんだかあわただしくなってきました。新宿の本社から管理本部長や総務部長、人事企画部長なんかも頻繁に出張してくるようになりました。

 

合併半年前の秋ごろに、正式な合併の発表として、役員から全従業員に説明をすることになりました。各工場ごとに食堂に全員が集まって直接役員から説明を受けました。「自動車部品は、これからはモジュール化をして完成車メーカーに提案をしていくことが期待されている。単品部品だけでは生き残っていくことは難しく、ホンダ系の燃料供給系部品3社が合併して、よりモジュール化を加速し、競争力を付けていく」という説明でした。

 

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合併する3つの会社は、店主のいたキャブレターやインジェクターを作っていた会社と、他の2社はホンダの100%子会社でエアコンやインマニを作っていた会社、ECU(電子制御ユニット)の会社で、従業員規模はそれぞれ、2千人、千5百人、5百人であわせて4千人の規模となり、店主からしても倍の規模の会社になるというものでした。

 

その日から、各領域に分かれてそれぞれ合併委員会なるものが組織され、3社から担当の委員が選ばれ、準備がスタートしました。店主の関係する領域としては、「人事委員会」、「総務委員会」でしたが、他の2社の本社機能は宮城にあることから、打合せは主に宮城の工場で行うこととなり、店主の会社の人事委員会代表メンバーは店主が出ることになりました。

 

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ちなみにその他の会社は、部長、課長級の方々が出てきたり、それに加えて各担当者が出てくることもありました。「店主でいいんですか?」と人事企画部長と主任に訪ねると、「キミで大丈夫、何も問題なし。ただし、勝手なことだけはするなよ!」としっかりと釘を刺されました。

 

打合は、毎週のように開催され、多いときには毎日のときもありました。当然、通常業務の他にこの仕事ですから、毎日、一人で交替勤務をしているような労働時間でした。朝は、早番と一緒に出勤して、帰りは遅番と一緒に帰るといった感じです。

 

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それでもやることや決めることはそれこそ山のようにあって、いくら時間があってもたりません。そこで基本方針を半年後の合併までに最低限、あわせておかなければいけない項目のみに絞って、準備していくことにしました。

 

当面は、労働条件も人事管理も給与計算も各社ごと。最低限目に見えるところだけは一緒にしようということで、社名やロゴ、ネームプレートや給与明細の袋(明細は別です)などをあわせる打合せを行っていきました。

 

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給与明細は、外側の色と模様、それから氏名欄をなどのデザインを一緒にしていくことになったのですが、これが意外と大変でした。色を何色にするかということで、「なぜその色なのか」という理由を明確にしないとダメだと言われ、面食らった記憶があります。また、明細の氏名欄に「殿」や「様」を付けるか付けないかでも、各社考え方が違っていて、なかなかまとまとまりません。

 

また、同じ地域で、同じ作業服を着て、同じグループの会社にも関わらず、使っている単語の定義が違っていて、何度話し合っても、内容が食い違い、よくよく話をしていくと、単語の定義がそもそも違っていたというようなこともしょっちゅうでした。

 

そんな作業を半年ほど続けて合併の日を迎えるのでした。

 

つづく…