Cafe HOUKOKU-DOH

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人事屋修行記(第43話)

新会社誕生の日

1997年4月1日は、ホンダ系部品メーカーの3社が合併し、新会社がスタートした日でした。その日は、朝早くから会社に行き、新会社における第一回目の取締役会の準備です。

 

宮城の研修厚生センターの研修室にテーブルをロの字型に並べ、30数名の取締役が着席できるように準備します。通常、取締役会は、旧各社の本社か工場の会議室で行われていましたが、このような人数を収容できる会議室はなく、研修室で行うことになりました。

 

会場の準備を完了し、玄関や通路で案内をしていると、8時を過ぎた頃から続々と役員たちが集まってきました。10分前頃には全員が入室し着席完了。部屋の中をのぞいてみるといままで見たこともないような大人数の取締役会で、とても壮大な感じがして、この会社もとても大きな会社になったのだとしみじみ実感しました。

 

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いままで半年間、いろいろ準備はしてきましたが、いざスタートしてみると新しい会社のスケールの大きさに戸惑うことばかりでした。それまでは、宮城と川崎の調整だけで済んでいたことが、合併後はすべてのことにおいて、宮城、川崎の調整をした上さらに、他の2社との調整を行って進めなければなりません。

 

それも、いままでの歴史も違えば、仕事の進め方や文化も違います。簡単な決めごとを社内に周知するだけでも、それまでとは比べ物にならないくらいの労力と時間を費やすようになりました。

 

一番違いが印象的だったのは、全社の組織図でした。それまではA3版1枚で縦型に書かれていたのですが、会社が大きくなり、本部や部、課の数も倍以上になってとてもA3版にはおさまりきれません。そこで、A3横を3枚縦につなげた横型の組織図が登場しました。ただでさえ3倍になったにも関わらず、フォントはそれまでの半分程度の大きさに縮小され、老眼鏡を使う方々にはちょっとつらいものとなりました。(店主もこの頃つらいです…)

 

内線電話もそれまでは、拠点番号が2桁だったものが3桁に増え、内線番号表も3倍くらいのページ数になりました。それまでは、内線電話もかける人がほぼ決まっていたので、番号表も見る機会はほとんどなかったのですが、合併後はコレも必需品の一つとなりました。

 

また、従業員や親族の弔事発生時の対応についても、いままでは各社ごとに対応していたのですが、これからはひとつの会社として対応しなければなりません。同じ地域に3千人もの従業委員を抱えていますので、夫婦や親子、兄弟でいままでは別の会社だったのが、同じ会社になってしまったというパターンがもう数え切れないほど出ました。

 

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1件弔事が発生すると、その関係者をすべて確認し、だれに対して会社としての弔事対応を行うか調整して決定しなければなりません。まさか同じ葬儀に社長名で供花がダブりで出ていたなんて、お恥ずかしくて話にもなりません。

 

このような調整のフローを作って、そのとおりに業務が流れるよう、弔事届出のフォーマットを作って統一したりもしました。店主が退職する19年後も基本部分はその当時のフォーマットが踏襲されいて、うれしい限りでした。

 

このように合併により、日々の仕事の流れが大きく変わっていくのでした。

 

つづく…