Cafe HOUKOKU-DOH

~ホッとひと息的な読み物でブレイクするサイト~

人事屋修行記(第44話)

ピンチ

合併直前の1996年12月、本社人事の先輩から電話が入りました。当時すでに仕事上のやり取りはひんぱんでしょっちゅう電話はかかってきていましたが、その日の電話は何か神妙な感じで始まりました。

 

「これから聞くことは絶対に口外しないこと。電話があったことも人に話さないこと。今週の水曜日に宮城の工場に行くので打合せをしたい。メンバーは店主と、係長と、あと情報システムの給与担当を集めて欲しい。ただし、情報システムの担当者のみに声をかけて、上司には別件の打合せに出席することにして、我々と打合せをすることも口外しないように口止めすること」会議をしていることも周囲にわかられないようにせよとの厳重な情報統制に何ごとが起きるのかと心配半分、ワクワク半分で打合せにのぞみました。

 

極秘会議で説明された内容は「創立40周年記念特別功労金」を支給するというもの。創立記念の12月19日に従業員全員に現金で5万円を支給するというミッションでした。すでに12月に入り、給与計算は年末調整の真っ只中です。そこへ初めての試みとして全員への現金支給の極秘プロジェクトがスタートすることになりました。

 

支給用の封筒は、給与明細と同様のもので、色とタイトルを変更し、きちんと配布されるよう全員分の従業員コード、氏名を印字することとしました。19日の支給日から逆算し、納品期限を定めて仕様を伝え印刷会社に交渉です。

 

印刷業者は年末はカレンダーやら年賀状などでただでさえ忙しい時期です。本来であればまったく間に合わない期間ですが、いままでの長い取引の実績もありなんとか間に合わせてくれることになりました。

 

その他、対象者の基準づくりから、年末調整への反映方法、休職者の対応や、現金袋詰めの段取り、交替勤務者への配布方法など細かい内容をしっかり詰め、最後にスケジュールと担当を決めて会議は無事終了しました。あとは、支給用の封筒が予定どおりに届いてくれれば9割方ミッションは成功です。

 

支給2日前のお昼に封筒が6つのダンボールに入って印刷業者から届きました。情報システムの担当者と出来映えを確認しようとふたをあけると、あざやかなオレンジ色で印刷された封筒に「創立40周年記念特別功労金」との文字もしっかり書かれていました。

 

「これで準備万端ですね。それじゃ午後から名前印字して、明日の現金袋詰めに備えますかね」といいながら、なにげなく連続用紙になっている封筒をめくると、裏面が真っ白でした。

 

店主は最初、一番上にあるサンプルか何かかと思い、箱の下の方の封筒を見てみましたが、すべて同じように全部の封筒の裏面が真っ白でした。ボクは真っ青になり情報システムの担当者に「コレってどういうことですかね」おそらくその声は震えていたと思います。

 

すぐに印刷業者に電話て確認すると、こちらから指示したFAXが、色と表面の表記については、書いてあったのですが、裏面のことには一切触れていない内容でした。情報システムの担当者は口頭で「給与明細と同じように」と伝え、先方の営業担当も「承知しました」のやり取りはあったものの、そのFAXが現場の作業者に伝わってなかったようでした。要するに何も指示されていないから何も印刷されていないということでした。

 

印刷し直すといつ頃になるかとの問いに、早くて5日後とのこと。支給日は2日後です。もう社内にも正式な通達を流していますし、支給を遅らせるわけには行きません。この袋のままで配ったら?と考え、もう一度袋を眺めてみましたが、せっかくの会社から従業員への感謝の気持ちが台無しになってしまうようで、とてもこの袋は使えません。

 

支給日に間に合わせるためには、ただ一つ、明日の朝までに袋に氏名が印字されて現金袋詰めのために準備されていなければなりません。店主は、情報システムの担当者に「うちの事情を説明し、今日の夜、我々が工場までとりに行くので、なんとか今日予定の印刷が全部終わったあとに、残業してうちの袋を印刷してもらえないか」ともう一度調整を頼みました。そうすると先方の営業も社内調整をしてくれ、何とかやってもらえることとなりました。

 

店主は、すぐに新幹線の最寄り駅である白石蔵王駅までクルマで向かい、新幹線に飛び乗りました。向かう途中、荷物がダンボール6ヶだということに気づき、川崎工場の人事の先輩に電話をして、事情を説明し、旅行用の荷物を載せる折りたたみのカートを買ってきて、印刷業者の工場がある蒲田まで持ってきてもらうようお願いをしました。

 

工場へは夕方4時頃着きましたが、すでに袋の印刷はできていました。念のためその場で袋を確認すると今度はしっかり裏面も印刷されています。工場の方にていねいにお礼をいい、先輩と2人でダンボールを運びました。先輩の手伝いで無事、新幹線までダンボールを持って乗り込みことができ、夜9時過ぎに会社へ戻ってくることができました。

 

こんな時間になっても情報システムの担当者は、情報システムのマシン室で印字の準備をして待っていてくれました。それから2人で全員分の袋を印字し、一つずつ裁断して、準備が終わったのは次の日になっていました。翌日は、何ごともなかったように現金の袋詰めを行い、19日には無事功労金を支給することができました。

 

30数年仕事をやってきて、今でも店主の中では一番のピンチですが、そういうときこそ、最後まであきらめずに、粘り強く行動することの大切さと、仲間の協力なくして仕事の成功はあり得ないというチームワークの大切さを教えてくれたできごとでした。

 

つづく…