整合作業
合併というのは吸収合併でない限り、仕事のやり方や価値観、はたまた1枚の帳票にいたるまで仕事にまつわるすべてのものをどうするのか、決めていかなければなりません。その元となるのがルール、規定です。
当時、合併の整合作業における上位方針は、「対等の精神に基づき、融合融和をはかる」というのもので、それを受け人事としては人事処遇の基本方針の一致や経済合理性はある程度犠牲にしても、スピード感をもって早期に制度の一本化をはかることを最優先に作業をすすめることになりました。
資格制度や報酬制度など、人事制度の根幹をなす部分については、旧3社の部課長級の大御所4人からなる人事企画室が設立され、制度設計から労使交渉、規定の作成まで担当することになりました。
店主のいた工場人事は、整合された規定をベースに運営フローを実態に合わせた形で見直し、あわせて担当者ごとに規定の解釈がばらつかないよう詳細の運用判断を決めて、内規という形で共有し、また帳票なども新しい規定にあった内容につくりかえていく役割を担当することにしました。人事企画がつくった「仏」に「魂」を入れる作業です。
新しい制度に基づいた規定ができあがると、まずは人事企画から工場人事に対し、内容の説明会があります。まずそこで制度の考え方や想い、そこにいたった経緯などをしっかりと説明を受け、議論をしていきます。
ここの部分を共有できないと、目指す方向が企画と運用でブレて、まったく違ったものになってしまいます。ボクは先輩らと納得のいくまで人事企画の大御所と議論をしていきました。
しっかりと議論をして、自分なりの納得をしたあとは、受け取った規定は逆に自分の作品として責任をもって職場へ展開し、しっかりと運営をしていきます。そこでは「この規定は工場人事がつくったものではない」といった他責の発言はありえません。
お客様である従業員にしてみれば、誰が作ったきていなどということは一切関係がなく、それはすべて会社がやったこと、ということをしっかり認識して仕事に取り組むようにしていました。
作業のパターンはだいたい決まっています。まず、新しい規定をベースに旧3社の実務の担当者を集めて打合せを行います。ホワイトボードに5列のマスを引き、項目の見出しと旧3社の取扱い、そして新しい運用を決めて書き込む欄をつくります。
規定の条文ごとに現在の運用や判断、規定からは読み取れないローカルルールなどを聴き取りながら書き込んでいき、最後に新しい規定でどのように運用するかを決めておわりです。
あとは決めた運用を運用内規という形で文書にして印を押し、各拠点の工場人事に配布して終了です。なので、運用内規初版の発行年月日を見ると、その元になる規定がいつ整合されたのかがわかります。
運用内規は、発行の都度配っていましたが、各拠点で管理レベルにバラツキがあり、管理が担当者のマニュアルにファイルされて課内で共有されていないような状況です。
合併作業がひと段落した1999年に店主が本社人事に異動した最初の仕事として「運用内規集」として、5センチのキングファイル1冊にまとめ、それの写しを15冊つくって各拠点の工場人事に配布することにしました。
あわせて内規の改定があると、差し替え版を送るという、日本法令の労基法の手引きのビジネスモデルも拝借し、その後規定管理システムが立ち上がるまでの約10年以上の間、人事の仕事のよりどころとして使っていただきました。
そのような仕事を当時主任の先輩と4等級になったばかりの店主の二人三脚でこなしていきました。当時のわれわれは、合併前の会社で宮城と川崎の工場で長年の運用の果てに、同じ規定なのに運用が違っていながら、それがさまざまなしがらみで変えられなかったことがくやしさとして残っていました。
「合併による整合」を錦の御旗にしてこの機会にイッキにきれいな形にもっていくという想いでやっていました。ですので、ものすごく忙しい時期でしたが、もっとも充実した仕事ができた時期でもありました。
つづく…