事業譲渡
2001年の4月に老舗の大手通信機器メーカーから出向者を2名受け入れるという話を聞いたのは、出向を受け入れる直前でした。その時点では、まだトップシークレットでしたが、先方企業のカーエレクトロニクス(CE)事業を人も含めて丸ごと譲り受けるので、人事面の詳細を今後詰めていって欲しいということでした。
先方の会社は、わが国の電話の技術を当時の電電公社とともに築いてきた老舗の大企業で、店主のいた会社の前身のひとつである、電子技研をホンダさんとともに立ち上げ、電子制御ユニットを技術面から支援していただいた会社です。電子技研発足当初は、多数のエンジニアが出向で入り込んで支援をしていただきました。
譲渡の対象となる製品は、エンジン始動系、ミッション・駆動系、車体制御や通信制御系のECU(エンジン・コントロール・ユニット)で、生産拠点では英国を譲り受けることとなりました。あわせて、開発、生産技術のエンジニアを中心に約50名の方々に転籍をしていただく計画です。
人の異動の計画としては、2001年4月から出向や長期滞在という形で順次栃木開発センターを中心にきていただき、基本1年間の出向期間を経て、転籍するということでスタートしました。まず、第一段として管理職を中心に2001年4月をメドに、その半年後に残りの組合員が転籍するというものです。
出向が始まってから、先方の人事担当とのはじめての顔合わせがありました。店主の会社の担当は、当時の本社人事課長で昇格初年度の先輩と店主の2人です。2人で電車で浜松町まで行き、芝浦にあった先方の本社に伺いました。
さすが創業100年以上もある大企業だけあり、その一帯には自社ビルが何棟も建っていました。そのうちのCE事業部が入っているビルで打ち合わせはスタートしました。先方は、若手の人事課長とボクより少々年上な感じの係長、それから担当の女性3名です。
最初の打合せでは、人の異動に関する大日程のイメージをあわせて、その後、次回打ち合わせについての具体的な内容を詰めました。その他に双方の人事制度の概要について情報を交換し、あわせてその中で懸念される事項について、意見交換をしました。
先方の人事課長は話をしていると、とても頭の回転が速く、受け答えも的確で、なにより、我々とのやり取りでも実にしっかりと重要な点については、はっきりと主張してきます。その主張するポイントがまた的確で、一緒にいった課長が、不快がっていたことでもよくわかりました。
次回は、双方の人事制度を項目別に比較する表にデータを埋めて、それを見ながら具体的な転籍時の取扱いについて議論をすることとして、その日の打ち合わせは終わりました。ボクにとっては、合併の整合を経験していただけに、進め方についても慣れた感じで、実際のその後のデータ作成のときなど、課長からも「わかるよな」の一言で頼んだぞといった感じでした。
そのようなことで、事業譲渡での転籍作業はスタートしたのでした。
つづく…