Cafe HOUKOKU-DOH

~ホッとひと息的な読み物でブレイクするサイト~

人事屋修行記(第70話)

昇進

2002年の4月は、店主にとって入社以来最大の変化が訪れた時期でした。まず、大幅な組織変更があり、従業員意識調査の結果から浮かび上がった課題へ対応するために、それまでの総務部から独立する形で人事部が設立されました。

 

人事部は、制度設計などを担当する人事企画ブロック、遅れていた従業員育成制度を仕組み化し運営していく人材開発センター、そして実務オペレーションを担当する人事労政課の3つの組織からなり、人事労政課は宮城の工場に、それ以外は本社に置かれました。

 

人事労政課は、給与係と人事係からなり、人事係は人事のオペレーションと海外人事、採用、労組担当という給与と教育以外の人事実務をすべて担当する役割が付与され、店主はそこの係長を担当することになり、宮城へ入社以来3度目の転勤をすることになりました。

 

人事係のメンバーは、店主のほかに男性3名S、女性1名の5名体制で、全員店主より先輩という強力なメンバーで、工場の総務事務所の一角にパーテーションで仕切った事務所をもらい、キャビネ4本と机5本を無理やり入れて、スタートしました。

 

 

他の会社でいう人事、人事企画、人財開発、工場人事にまたがる範囲の仕事をそれぞれ1人ずつの担当者が仕切って進めていくわけですので、発足当初はとにかく仕事が山積みで忙しく働きました。

 

朝は誰ともなく会社に集まってきて、毎朝7時前には全員が仕事を始め、夜は10時40分の深夜残業がカウントされるギリギリまで仕事をこなして帰るという日々がしばらくつづきました。

 

課長は、2年後に退職することとなる地元出身の方でしたが、総務の経験は結構長かったのですが、人事系特に本社機能の領域となると初めての部分が多く、戸惑いも多かったようです。

 

それまでの本社時代のように、なにごとを進めるにも課長の了解さえもらえば間違うことはないと安心して仕事をしていた環境から一変、すべて自分自身で考え、検証し、判断して進めていかなければならなくなりました。

 

 

課長は基本的に説明をすれば即OKがでるので、店主の判断ミスはそのまま仕事のミスにつながります。加えて自分の担当のほかに係メンバーの内容も確認していかなければなりません。ただ、メンバー自体が当時の人事のエース級を集めてもらったので、そちらについては、ほとんど安心していましたが。

 

この自分自身で判断して仕事を進めるという変化は、この当時本当にしんどかったです。自分の判断が会社に与える影響を考えると、なかなか決断できず、かといって仕事を先送りすると、どんどんと仕事が増えていくというジレンマに当時は相当悩みました。

 

ところで「人事労政課」という組織名がつくのはこのときが初めてでした。給与係は提出された書類の確認などで、結構内線電話を掛けることが多く、ある日、「人事労政課の○○ですが、△△さんお願いします」と電話を掛けたところ、電話口の向こうで、「△△さん、神次郎(ジンジロウ)の花屋(生花:セイカ)さんから電話!」と取り次がれ、担当者が笑い転げてしまったこともありました。

 

こうして歴代人事部の部署の中で最大の職務分掌とメンバーをもつ組織がスタートしました。それと同時に店主の主任としての仕事もスタートすることになりました。

 

つづく…