Cafe HOUKOKU-DOH

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IVY Note No.90

VANショップ

店主がアイビーの存在を知ったのは、中学2年のときであった。幼なじみの友人がグレーのダッフルコートを羽織ってさっそうとあらわれたのだ。

 

ドカジャンに作業ズボンといったヤンキースタイルの店主は、ものすごい衝撃を受けた。こんなカッコイイ洋服があるんだ!といった驚きとうれしさはいまでも忘れることができない。

 

友人は3つ上に姉がいて、その姉が弟である友人の洋服を見立ててすすめてくれていたのである。そう、友人が羽織っていたのは VAN のダッフルコートだったのだ。

 

その友人以外にもやはりお姉さんがいる部活の友人が同じく VAN のバックプリントのロゴが入ったトレーナーを着ていた。部活のときに着るアディダスのトレーナー以外、知らなかった店主は、こういうトレーナーもあるんだと素直に感動したのだった。

 

当然の成り行きで、彼らと一緒に VAN ショップに買い物に行くことになった。店主の実家のある仙台には、VANショップが路面店としてやっていた。ちょうど東北大の正門がある片平キャンパスのとおりをはさんで向かいにあるそのお店には、以降40年ちかくお世話になるのであった。

 

 

高校になってアメリカの50年代ファッションに目覚めた店主は、髪の毛をポマードで固めて501のデニムを思いっきりロールアップして履いていたが、ベースはアイビーにおいていた。

 

なので、アイビーアイテムのなかでも、より50~60年代の米国アイビーリーガー風の着こなしを取り入れることを意識していた。

 

大学生のときだったと思うが、VANショップにいつものように買い物に行くと、VANショップの社長から「オッ!60年代だね。シブイネー!」と店に入るなり声を掛けられたのだ。

 

それまで顔は覚えてもらっていたが、会話を交わしたことはなく、ましてコーデについて評価をいただくなどということは考えてもいなかった。当時の店主にしては社長は押しのアイドル以上の存在で、神様のような感じだった。

 

その日のコーデは、BDシャツにスリムのLeeの生成りのウエスターナーを短めにして履き、霜降りの無地のトレーナーをかぶり、足元はコンバースの黒のハイカットで固めていた。

 

 

そんな地味ともいえるコーデだったのだが、社長の目にとまっただけでなく、こちらが意図したコーデをズバリ一言で表現して、さらにほめていただいたのである。

 

それ以来、店主は60's米国アイビー志向と認識されたらしく、よくコーデについてその角度からのコメントやお褒めの言葉をいただいた。

 

社会人になってからは、もっぱらパターンメイドでスーツばかりをつくっていただいていたが、年に数回お店におじゃまするときには、いつもコーデに細心の注意をはらっていくのであった。

 

数年前に社長が引退してVANショップは閉店してしまった。それでも当時のお店から教えてもらったアイビーの何たるかは、店主のなかにずっと続いているのである。