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人事屋修行記(第86話)

さくら情報システム

2004年の夏頃、情報システム部長から「そろそろ人事のシステムも更新する必要があるので、どんなものがいいのか考えておいて欲しい」というような話を立ち話で何度かされていました。

 

当時の人事情報システムは、東芝製のオフコンの上で動く、会社の独自設計によるシステムで、1986年に立ち上げ、1994年に入社3年目の店主も携わって、給与計算などの仕組みも追加したものでした。

 

当時の事務系コンピューターシステムは、まだオフコン上で動くものが主流ではありましたが、流れとしては、パソコンのウインドウズOS上で動かせるものがどんどん主流となりつつある、いわゆるダウンサイジング化が時代の先端を行っている頃でした。

 

当然、次世代の人事情報管理システムを立ち上げようとすると、ウインドウズOS上で動くものが狙いであり、そのようなアプリケーションソフトもたくさん出てきていた頃でした。

 

 

ちょうどその頃に、情報システムの人事系システム担当の主任から、今度ベンダーさんが人事系システムの提案をしにくるので、一緒に出て話を聞いて欲しいとの話があり、とりあえず出席させてもらうことになりました。

 

宮城の工場の応接室で名刺交換をしたのは、7月の暑い頃でした。ベンダーさんは「さくら情報システム」さんといい、営業担当からシステムの開発部隊の部長まで5~6人の大所帯でおみえになりました。

 

「さくら情報システム」の名前からもわかるように、元々は旧さくら銀行(現在は住友銀行と合併し三井住友銀行)の情報システム部門が子会社化し、銀行の基幹システムである決済システムなどを手がけながら、管理系システムを手がけ、それをグループ外にも拡販してきた会社さんでした。

 

当社と相性がよかったのは、人事情報システムについては、東芝製のアプリケーションソフト「ジェネラリスト」の販売代理店になっていたことであり、当社はオフコン時代は、東芝製を導入していて、東北地方における東芝ユーザー会の最大手という位置づけでした。

 

 

当日は、ザックリとした提案をきいた程度でしたが、当時のシステムを使っていての困りごとというのは、すべて解消してくれるような印象を受け、やはりコンピューターというものは、世の中以上に進化のスピードが速いものだという印象を受けたのが今でも記憶に残っています。

 

通常であれば、話はその提案で終わるのですが、当時は、情報システムでも東芝オフコンをゆくゆく廃止したいので、新しいシステムに更新して欲しいというニーズがあり、一方我々人事部門としても、使い勝手がいい今ドキのシステムに更新したいという想いがあり、ベンダーさんは、何とか人事系のシステムでも当社に採用されたいという強い思惑がありました。

 

そのような背景から話はトントン拍子で進んでいくのでした。

 

つづく…