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人事屋修行記(第89話)

転勤

2005年4月の人事異動で、人事企画の課長が、人事部長に就くことになりました。早速店主のところに連絡が入り、人事部発足にあたっての運営体制の打合せが始まりました。

 

彼の頭の中には、すでに青写真はできあがっていたのでしょうが、店主にも意見を求めてくれました。総務部の中から人事労政と人材開発を切り出して、人事と労政と人材開発の三課体制にすること。中でも、当時採用業務を担当していた人事は、そのベースを宮城の工場から新宿に移すこと。これが、新体制発足の大きなポイントでした。

 

当時の人事労政は、給与と人事の二係体制で、店主が担当していた人事係は、人事、採用、労政という3つの大きな職掌を持っていました。そのうち、労政を切り離して残った人事、採用を店主以下の4名で担当することになりました。店主以外はすべて女性という顔ぶれです。

 

店主は、転勤も単身赴任も慣れていましたので、なんら問題はなかったのですが、問題は残りの3名です。当時、女性の転勤というのはほとんど前例がなく、会社も組合もあまり触れたくない問題でした。

 

 

会社の就業規則からいえば、正規従業員にはすべて転勤命令を出すことは可能であり、結果としてであっても女性だけが転勤していない状態は、雇均法など見方によればおかしな人事運用といえなくもない状況でした。

 

一方で、転勤までさせて活躍の場を与えて、一層の能力発揮を期待する人材がいなかった(そもそもそのような場や仕事を与えていなかった)というのもある面、事実ではあったと思います。

 

いずれにしても、微妙な問題であり、部門長もできれば触りたくないということで、そのような人事に踏み切れてない雰囲気は少なからずありました。

 

そのような中、あえて人事部門からという訳ではなかったのですが、結果として我々人事部門が先頭を切ってそのような人事異動を行うことになりました。

 

店主としては、前々からこのような事態を想定して、ことあるごとに新宿勤務や転勤の話を持ち出してはジャブを打っていたつもりでしたが、確信は持てずにいたのでした。

 

店主は、そのジャブ打ちの感触から、3人とも大丈夫と新部長に話をしたのですが、慎重を期すため、新部長自ら面談と内々示をすることになりました。工場の応接に4人が集められ、新たな人事部としての目指すところやそのための方針などの説明があり、それらを具現化するためには、新宿が最適地であり、そのミッションを担って欲しいみなさんには、是非、新宿に行って一緒に働いて欲しいという話がありました。

 

ボクは大丈夫とは思っていたものの、OKの返事をもらうまではやはり心配でしたが、その場で快諾(当人達はそう思っていたかはわかりません)をもらい、ほっとひと安心したのでした。

 

つづく…