別れ
課長になって2ヶ月ほど過ぎた5月のある日、部長と一緒に宮城の工場へ出張すべく、朝東京から新幹線で移動してきました。工場について作業服に着替え、ひと段落した頃、とんでもない知らせが飛び込んできました。
部下で海外駐在を担当していた主任が、朝、会社で倒れて救急車で病院に運ばれたというのです。早速職場に行って話を聞いてみると、普通に出社してお茶を飲みながら雑談し、仕事をはじめてまもなく、急に頭痛がするといって、応接でちょっと横になっていたのですが、みるみるうちに様子がおかしくなり、嘔吐してしまったとのこと。急いで救急車を呼んで病院へ運ばれたそうです。
彼は、店主より少し年上で、合併以来これまでずっと一緒に仕事をしてきました。店主とは別の会社出身で、出身会社の人事制度の中身はもちろん、それまでの経緯なども含めて実務面の細かなところまですべてを知っている生き字引的存在でした。
合わせて、人事労務の知識と経験からくるノウハウも実に豊富で、なによりITリテラシーが非常に高く、人事労務系の中ではピカイチのシステムとアプリケーションの知識を持っていて、実務でもみんなをリードしてくれていました。店主も一目置いていた、そんな大きな存在でした。
当時は、給与厚生に籍をおいて、200名ほどの海外駐在員を部下と2人で切り盛りしてくれていました。というより、彼だからこそ、2人という少ない人数で効率よく仕事が回せたのだと思います。
とにかく病院に行って様子を随時報告してくれという話になり、となりの町の地域中核病院へ向かいました。彼は集中治療室に入っており、面会謝絶で親族もほとんど呼ばれて集まっている様子でした。
くも膜下出血とのことで、その日の話では、峠は今日か明日とのことでしたが、その後も様態は一進一退を続け、結局一度も意識が戻らないまま、3週間くらい経った6月の初旬に息を引き取ったのでした。
店主は、部下を失ったというより、これまで10年近く一緒に仕事に取組んできた仲間を失ったことが、それもあっけないほどあっという間に最後のあいさつも交わすことなく逝ってしまったことがとてもショックでした。
退職の手続きは、店主がご自宅に伺ってすべてを担当しました。手続きを進めていく中で、ご遺族の方から、「労災にはならないのか」との質問を何度もされました。発症前の働き方なども当然すべて確認はしましたが、労働時間は決して少なくはなかったものの、厚労省で定める過重労働と判定されるような時間ではなく、そこらへんを丁寧にご説明はさせていただきました。
結局、お話した「会社側の」説明では納得いただけなかったようで、ご遺族が直接監督署に相談に行って、調査することになりました。店主は、直属の上司として、監督署に呼ばれ事情聴取を受け、調書を作成され、記名、捺印をしてきました。
結局、労災には認定されなかったのですが、奥さまとは以前からBBQなどでご一緒したこともあり、面識はあったので、ご自宅に伺ってしっかりと説明させていただいたにも関わらず、このようなやり取りになってしまい、とても残念な気持ちになったのを覚えています。その後はなんとなく連絡も取りづらくなり、以来奥様とは一度もお会いすることもなく、現在に至っています。
もし、彼が元気でいてくれたなら、間違いなく人事領域で管理職として、活躍してくれていたことでしょう。とても惜しい人材を亡くしてしまったといまだに悔やまれます。
つづく…