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人事屋修行記(第154話)

女性初駐在

2015年当時、前々職ではメキシコに工場を作ってインジェクターという燃料噴射弁の生産を立ち上げていました。インジェクターはガソリンを霧吹きのようにエンジン内に噴射するのですが、その噴射のコントロールはエンジンの回転に合わせて、毎秒300回以上もする上下するピストンへ適切なタイミングで吹くので、とても高い加工精度が要求される部品でした。

 

当時、自動車業界は米国への輸出生産地としてメキシコ進出ラッシュで、日経企業もOEM各社の系列部品メーカーが次々と工場を立ち上げていました。これまで世界各地に進出して工場を立ち上げてきた自動車部品メーカーでしたが、メキシコでは各社とも大変苦戦を強いられていました。

 

進出企業は、いままでどの国でも経験したことのない高い離職率に悩まされていました。聞いた話では工場のワーカーを毎日のように現地エージェントを通じて採用するものの、そのほとんどが定着せず、1か月経つとワーカーの約7〜8割近くが入れ替わってしまうというレベルでした。

 

 

とにかく人がいなければモノは作れませんし、定着が悪ければ当然品質や効率は下がります。歩留まりを上げて目標の生産数を安定的に達成させるための一番の課題がワーカーの採用と定着となってきていました。

 

通常、新工場の立ち上げ時は、現地人の人事マネージャーを採用して、その人物に任せるのが一般的で、日本の人事は、立ち上げ時の人事マネージャー採用などの支援をする程度で、そのほかは立ち上げメンバーに任せていました。

 

今回は、人が最大の課題ということもあり、人事から応援メンバーを出してくれという打診がきました。当初は採用と定着の仕組みを作って回り始めるまで、ということで、半年程度の長期出張の依頼です。

 

そこでメンバーに抜擢したのが、店主が人事の係長時代に新人で入ってきて、二人三脚で新卒採用の仕組みを作り直し、新卒採用を一人で回してくれた女性の部下でした。当時彼女は給与厚生の係長から人材開発に異動したものの、目標を見失っていたようで、期待どおりの活躍をしていませんでした。

 

 

メキシコから応援要請があるけど、行ってみる?という話に2つ返事で快諾をしてくれて、サッと現地に向かってくれました。彼女は帰国子女で英語が堪能で、志望動機も海外で活躍したいとの想いから、地味な自動車部品メーカーを選んで入社してきたのでした。

 

無事、半年間のミッションを終え帰ってきたところ、現地から再度、今度は駐在でお願いしたいと、名指しでお願いきました。どうも仕組みは作ったものの、現地スタッフだけではまだきちんと運用することができず、ほかの駐在員も手がいっぱいでなんとかしてもらえないか、とのこと。

 

彼女は社内結婚で旦那さんは、宮城の工場で生産技術のエンジニアをしていました。子供はいませんでしたが、長期出張に出したのさえ、社内からはいろいろ言われていて、さすがの店主も単身での駐在をお願いするかどうか、迷っていました。

 

一方彼女は帰国後、いわゆる燃えつきなんとかのような感じで、どうも仕事に身が入っていないようで、元気がありませんでした。そんなとき、彼女から話があるのでと食事の誘われたのでした。

 

 

食事の席で開口一番、会社を辞めて宮城に戻りたいとのことでした。夫婦一緒に落ち着いて住むようにと家の購入までほぼ決め、そろそろ子どもも考えたいし、なにより宮城と栃木での単身生活が、すでに5年になっていました。

 

店主は、その申し出を素直に受け入れる腹を決めましたが、念のため実はメキシコから駐在にきて欲しいと打診があることは伝えておいた方が、万が一後悔しないようにと思い、退職の話は了解したうえで、駐在の話をしました。

 

一瞬顔色が変わった彼女からは、一晩だけ考えさせてくれという、予想外の返答が帰ってきました。今回の退職を決めるうえで、旦那さんからは戻って一緒に住めないのであれば、離婚も考えるというところまで話し合いをしていたにも関わらずです。

 

翌日、彼女からは駐在にぜひ行かせて欲しいと、快諾の返事をもらいました。当然旦那さんとの話し合いの結果、別々の道を歩いていく決断をしたことは言うまでもありません。そうして、店主の部下から前職企業で初めて、女性の海外駐在が誕生することとなったのでした。

 

つづく…