プロジェクト(5)
早期退職のプログラムを人事の責任者として進めることが決まった時点で、店主は最終的に会社を辞めなければいけないだろうとひとりで決めていました。それは責任を取るというような話ではなく、施策の目的が体質改善をして業績を回復させることにあるのですから、施策完了後には、新たな体制でさらなる成長を目指していくことが必要であり、新しい組織風土を作り上げていくためのキーとなる人事責任者は、リストラを実行した店主ではないだろうと考えていました。
夏の終わりころから漠然とそんなことを考えながら仕事をしていると、人事部長として出席するさまざまなイベントのたびに、この仕事もこれで最後か、という思いが頭の片隅をよぎり、いつも以上に念入りに準備をして仕事にのぞんでいる自分がいました。
一方で、具体的な辞め方については、あまり深く考えていませんでした。ただなんとなく、早期退職のプログラムに乗って割増退職金をもらって辞めるのは、お手盛りのような気がしましたし、あえてプログラムに乗らずに辞めるのがかっこいいような感じがして、プログラムによる退職者が辞める3月末を見届けてから退職届を出そうとは考えていました。
そんなことを考えつつ、毎日説明会や相談会など忙しい日々を過ごしていました。店主は年末最後の役員会でプログラムの進捗状況を報告したのですが、その会議の席上、社長から「この会社の人事はまったく社員のことを考えて仕事をしていない」と叱責されたのです。それは、年末年始休暇の期間中の相談会が社長の想定していた日数より少なく、こんな状況で普通に休むつもりか、と受け止められたようでした。
会社に新卒で入社し25年、店主自身は同期のだれよりも自分や家族の時間を犠牲にして仕事に取組んできたつもりでした。人事の仕事で大切なことは、仕事中はたいへんなこと、いやなことなどもたくさんあるけど、会社を辞めるときに、この会社に勤めてきてよかったと心の底から思ってもらえるようにすることだと考えて、さまざまなことに取組んできたつもりでした。
精神的にタフな状況での仕事を続けてきた中で、まるで自分の会社人生でやってきたことをすべて否定されるような発言には、正直こたえました。そんな中、年末年始の相談会期間中に、応援にきてくれていたリクルート社のカウンセラーになにげなく他の会社の人事責任者の辞め方について聞いてみました。するとプログラムに乗って辞めるのは半分くらいだということでした。
カミさんには、年末年始の休みにはじめて相談しました。最初はまったく理解されませんでしたが、1ケ月近くも何度となく話をしていく中で、納得はしないけど理解はするようにはなってくれました。
カミさんと話をするなかで、自分で仕事をしっかりやった自信があるのであれば、もらうべきものはきちんともらうべきと言ってくれたことは店主が辞め方を決めるうえで大きな影響を与えてくれました。
自分の役割と目標をしっかりと果たし、その上でルールにのっとった手続きで辞めることはおかしなことではまったくない。一時的な感情に左右されて行動することは自己満足だけであり、これまで支えてきてくれた家族を結果的に裏切ることになる、と自分の中で整理することができ、とてもスッキリした気持ちで延長した第2次締め切り日の半月前に早期退職制度の申請書を書き上げたのでした。
つづく…