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IVYおじさんの創業日誌

20年前なにしてました?

先日クルマでFMラジオを聞いていると、「20年前なにしてました?」というテーマでラジオドラマをやっていた。この4月で番組開始から20周年ということでの設定であった。

 

それを聞き、自分の20年前を思い出してみることにした。ときは2005年である。

 

新卒で自動車部品メーカーに入社し、15年目の年であった。店主は2回目の単身赴任で新宿の本社に通い、人事係長の立場で要員管理や人事評価、新卒・キャリア採用、人事企画や労組担当と幅広く本社人事の仕事を担当していた。

 

38歳の店主は今では考えられないほどに活動的で、朝早くから夜遅くまで淡々と仕事をこなし、宮城の工場と宇都宮の研究所を行ったり来たりしていた。遅くまで仕事をした後に上司や同僚らと食事に行くことも多く、終電後のタクシーにもよく乗った。

 

毎晩17時には仕事を切り上げ、晩酌し夕食を食べ、20時前には床に入る現在の生活とは隔世の感がある。

 

 

当時一番の関心事はとにかく仕事をして、山積みとなっていた会社の課題を解決することであった。そのためには手段は問わない、くらいの勢いであったことを記憶している。

 

そしてこの年は課長クラスへの昇格試験を受けた年でもあった。上司からは「そろそろ今年あたりノミネートされるから準備しておけ」と言われ、日経ビジネスを定期購読契約し、毎週末仙台へ帰省する新幹線の中で読むのが習慣になった。

 

当時の会社の昇格試験は、「アセスメントセンター方式」という、演習課題を通じて被験者の行動を観察し、15~20くらいのマネジメント職に必要な能力を数値化し、判定していくプログラムを実施していた。

 

1995年から導入していて、宮城蔵王のリゾートホテルに2泊3日で缶詰にして行うので、社内では「ヤマ」などと呼ばれ、管理職昇格の通過儀礼となっていた。

 

このアセスメント、事務局は当然店主が見ている人事課が担当である。実際には、店主の部下が担当しているのだが、その部下には演習中の立ち居振る舞いはもちろん、結果の詳細まですべて見られてしまう。

 

 

人事職の性といってしまえばそれまでだが、これはやはりきつかった。とても緊張を強いられたことを鮮明に覚えている。

 

40歳手前の当時、10年後、20年後のことなど何も考えていなかった。おそらく自分の定年退職が西暦何年なのかも意識していなかったと思う。

 

ましてその後、リストラを担当して転職することや、この会社が15年後には親会社から大手自動車部品メーカーに売られ、吸収合併されて社名がなくなってしまう、なんてことは想像もできなかった。

 

なにより、会社勤めが天職だと心底思っていた自分が、20年後に起業してフリーランスで楽しく仕事をしている、などということを知ったら、飛び上がるほどおどろいたに違いない。

 

プランドハップンスタンス(Planned Happenstance)とはよく言ったものである。偶然の要素によって8割が左右されてきた実感はある。そのポイントはそれら想定外の出来事に対しポジティブに受け入れるかどうかであろう。

 

これからもつねに新しいことに関心を持ち、なにごともポジティブに受け止められるみずみずしいハートを持ち続けたいものである。