AI元年
先週は、なかなかに密度の濃い一週間であった。
システム導入支援のコンサル会社との打ち合わせに始まり、定例イベントの対応。そして、クライアント企業の1社では人事評価の最終調整の時期とあって、店主もいくつかの評価調整会議にオブザーバーとして参加させていただいた。さらには、どうにも苦手意識の強い「研修講師」役まで仰せつかり、やや真似事のような内容ではあったが、何とか務め上げた。
並行して、制度設計のご支援をしているクライアントとの定例会も続いており、これらが詰まった1週間だった。こういういそがしいときに限って、新しいツールとの出会いがある。生成AIである。
正直なところ、今まで使わなくても困らなかった。しかし、どうしても気になる。ということで、最近はプロンプトの書き方を少し学び、試しに使ってみているのだが、なかなかどうして、面白い。条件さえうまく整えてやれば、それなりのアウトプットを返してくる。
とはいえ、慣れない操作にあれこれ格闘し、結果としては自分ひとりでやった方が速かった、という場面も多い。ふと、どこかで見たような光景だな、と思い出したのが――Windows 95が発売された頃のことである。

それまでワープロしかなかった職場に、突如としてパソコンが配布され、ExcelやWordといったアプリケーションを手探りで使い始めた。あの時も、「今まで通りのやり方で問題ない」という声と、「これからはパソコンを使うべきだ」という期待が交錯していた。
社内でもタイプが分かれていた。新しいものを避け、効率よりも安定を求める人たち。対して、時間がかかってもパソコンに慣れようと、試行錯誤する人たち。店主は、後者の道を選んだ。
もちろん、当時は関数と格闘し、表計算シートひとつ作るのにも半日かかることもあった。しかし、それを乗り越えて今では、パソコンを使って仕事をするのが当たり前になったのだ。
ある異文化コミュニケーション研修の講師が、「日本人は英語を前にすると構えてしまう。上手に話さねばと思いすぎる」と言っていた。その講師曰く、「英語はExcelと同じです」と。つまり、今やExcelを全く使わずに仕事をしている人はいない。高度な関数やマクロを駆使する人もいれば、単に表として使っている人もいる。それでも、皆それぞれのレベルでExcelを使っている。英語もそれと同じ、という話であった。
AIも、まさに同じなのだと思う。完璧に使いこなす必要はない。ただ、自分のレベルで、必要な範囲で使っていけばよい。相手(AI)に特徴があるなら、それを知り、こちらの伝え方を工夫する。そうして、うまく付き合っていく。その姿勢が必要なのだろう。
AIとのやりとりは、人とのコミュニケーションにも似ている。得意なこと・不得意なことがあり、言い方ひとつで返ってくる内容が変わる。そう考えると、そこまで特別な存在でもないのかもしれない。
今はまだ「産みの苦しみ」の真っ只中である。だが、店主としては、使って慣れて、自分の仕事の中に自然に組み込んでいくしかないと思っている。Excelを当たり前に使っているように、AIもいつか、当たり前の道具になる日が来る。
実際、最近はブログの原稿もキーボードで打たず、AIボイスレコーダーなるものに話しかけて、それを文字起こししてもらっている。これが、なかなかに高精度。加齢の影響か、最近はキーボードを長時間打つのがしんどく感じてきていたのだが、このツールのおかげでずいぶん楽になった。
こうして、便利なツールを当たり前のように使う。そうやって少しずつ、自分の働き方も進化していく。そんな手応えを感じた、忙しくも実りの多い1週間であった。