退職
11月の復職を前に、店主は上司との面談に臨んでいた。4年前に前職を退き、53歳で迎えた再出発の場面である。定年まではあと7年ほど残されており、これまで培ってきた人事労務の専門性を活かし、部長クラスとしていかに価値を発揮できるかを考えざるを得なかった。
しかし、面談の場で強く感じられたのは、上司の困惑であった。どう扱えばよいのか分からないという気配が、言葉の端々から滲み出ていたのである。元の部長職に戻すことには無理がある。かといって新たな職務やポジションを与える妙案もない。復職者を迎え入れる側の難しさを、店主自身が人事の現場で何度も目にしてきたが、いざ自分がその立場になると、その難しさをより痛烈に実感することになった。
面談の中心となったのは、今後どのような仕事をしたいか、という問いであった。店主も、できるだけ冷静に自分の考えを語ろうとした。だが、その最中にふと口をついて出たひと言が、場の空気を変えた。「独立してフリーランスとして挑戦してみるのも一案かもしれません」。軽い気持ちで発した言葉であったが、上司の目がそこで止まった。まさに渡りに船と映ったのであろう。

当時の会社は赤字ではなかったが、将来に備えた構造改革の一環として早期退職制度を導入していた。制度に乗れば、フリーランスとしての第一歩も比較的スムーズに踏み出せるという提案が上司から示された。店主にとっても、前々職の自動車部品メーカーから転職してきた際の経験が頭をよぎった。
新卒から長年勤めた会社でしか通用しないと思い込んでいた専門性が、実は新しい環境で意外にも役立つことを知った記憶である。あの時と同じように、外に出ても何とかやっていけるのではないか――そんな感覚が心の底に残っていた。
もっとも、その場では本気で独立を志す覚悟など持ち合わせてはいなかった。ただ、目の前の上司が明らかに扱いに窮している姿を見て、これ以上お荷物になるわけにはいかないという思いが強まっていったのも事実である。
復職者の受け入れは、本人にとっても会社にとっても容易ではない。とりわけ管理職以上の立場であれば、任せる職務の設計は一層難しくなる。自らも人事屋としてそう痛感してきただけに、困惑する上司の姿は決して他人事には映らなかった。
結局その日は「少し考えさせてほしい」と言って席を立ったが、店主の心はすでに定まりつつあった。家に帰って妻に相談し、退職の道を選ぶことになるだろう――その確信を胸に会社を後にしたのである。
職場復帰の難しさは、復職者自身の覚悟と周囲の受け皿の双方にある。とくに管理職という立場では、会社の論理と個人の事情の狭間で解を見つけることは容易ではない。店主にとって、この面談はその現実を突き付けられる一幕であった。
つづく…