あなたの「伝えている」と部下の「伝わっている」の間に横たわる溝
「わかりました!」部下は満面の笑みでそう言った。これで大丈夫だろう。そう思っていたのに、後日出てきた成果物は、こちらの意図とはまったく違うものだった。こんな経験はないだろうか。
「伝えている」という送り手(上司)の認識と、「伝わっている」という受け手(部下)の事実との間には、そもそも大きなギャップが存在する。この前提に立ってマネジメントを考えるべきではないだろうか。血の繋がった家族でさえ意思疎通が難しいのに、仕事という目的のために集まっただけの組織で、言葉が額面通りに伝わると思う方が、むしろ不自然なのかもしれない。
そもそも人間は、自分にとって都合のいいように物事を解釈し、都合の悪い解釈は無意識に避けるようにできている。さらに、新しい情報に触れたとき、人はAIが学習しているように、過去の経験というフィルターを通して、その言葉の裏にある文脈や背景まで含めて認識し、理解しようとする。そうでなければ、いちいち法律の条文のような話し方をしない限り、人と人との円滑な会話など成り立たないだろう。
とくに、われわれ日本人は、この傾向が強いと言われる。主語を省く傾向があり、単一民族としての長い歴史の中で、「言わなくてもわかるだろう」という暗黙の了解や「ふつうはこうだ」という常識・共通認識、いわゆる「行間を読む」文化を育んできたからだ。

これは「ハイコンテクスト」なコミュニケーションと呼ばれる。村社会を想像すればわかりやすい。村人全員が、誰がどこの家の生まれで、どんな人間かを知っている。そんな環境で「私は〇〇村の△△で…」などと自己紹介を始めても、「そんなことは知っている」と言われるだけだ。
しかし、この「行間を読む」前提の「あうんの呼吸」が、正確性を期すべきビジネスの場では、思わぬ落とし穴となる。価値観もバックグラウンドも違う相手に対して、いつもの調子で「行間を読んでくれるはずだ」という前提でコミュニケーションをしていくと、致命的な誤解を生むことになる。
このコミュニケーションのズレは、最近話題のAIとの対話にも似ている。AIに指示(プロンプト)を出したのに、全く意図しない答えが返ってきたとき、「AIなんて使えない」と切り捨てる人がいる。だが、これもコミュニケーションの問題と同じで、ほとんどの場合は指示の出し方が悪いのだ。相手がAIだろうが、部下だろうが、本質は変わらない。
とくに上司と部下の間には、世代間ギャップという大きな壁もある。上司は部下よりも多くの経験を積み、その分だけ学習量が多い。その豊富な経験を前提に「これくらい言えばわかるだろう」と行間を読ませるような指示を出せば、失敗するのは当然だ。部下は、上司が見てきた景色も、その判断に至った過去の経験もないのだから。
だからこそ、まず意識すべきは「伝える」ことではなく、「伝わる」こと。そして、そのための工夫をする責任は、学習量、つまり経験も情報も豊富な上司側にある。
「この指示で、相手は具体的にどんな行動を取るだろうか」「自身の当たり前は、相手の当たり前だろうか」。そう自問自答し、言葉を尽くして説明する。そして何より大事なのは、どのように伝わっているのかをていねいに考えながら、確認を怠らないことだ。「今の説明で、具体的に何をすべきか、あなたの言葉で教えてくれる?」といった問いかけ一つで、認識のズレはかなり防げるはずだ。
このていねいなプロセスを怠ると、お互いの間に双方の不信感が芽生え、信頼関係はなかなか構築できない。コミュニケーションの断絶は、組織の活力を静かに蝕んでいく。部下の「わかりました」を鵜呑みにせず、その一歩先へ踏み込む。その地道な努力こそが、チームを成功に導く鍵なのだ。