部下を動かすのは理屈ではなく「認知」である
完璧なロジックを組み立て、非の打ち所がないストーリーで部下に仕事をお願いした。これで期待通りのアウトプットが出てくるはずだ。そう確信したにもかかわらず、出てきたものは全く見当違いなものだった。こんな経験はないだろうか。
相手は新入社員でもなければ、パフォーマンスが低いわけでもない。社会人として十分な能力を持った部下だ。それでも、こうしたすれ違いは往々にして起こる。一体、これはどういうことなのだろうか。コミュニケーションの裏側で、何が起きているのかを少し考えてみたい。
そもそもコミュニケーションとは、「送り手から受け手へ、言語や非言語によって情報が移動する過程」と定義される。ここで重要なのは、送り手が発信したメッセージが、そのままの形で受け手にインストールされるわけではない、という点だ。
受け手は、送られてきた情報(刺激)を、まず「認知」するというプロセスを経る。この「認知」とは、単に情報を受け取るだけでなく、これまでの経験や記憶、価値観などと照らし合わせて、その情報が自分にとってどんな意味を持つのかを解釈し、評価する作業だ。
そして、この認知のプロセスに絶大な影響を与えているのが「感情」である。心理学では「フィルター効果」という言葉がある。たとえば、喜びや安心といったポジティブな感情を抱いている時、わたしたちは相手の言動を好意的に受け取りやすくなる。いわゆる「ポジティブバイアス」だ。この状態なら、多少曖昧な表現があっても「きっとこういう意図だろう」と善意に解釈してくれる。
一方で、不安や怒りといったネガティブな感情を抱いている時は、その逆が起こる。「ネガティブバイアス」だ。相手の言動を無意識に警戒し、言葉の裏を読みすぎたり、否定的に受け取ったりしやすくなる。
つまり、こちらがどれだけ「正しい」言葉を選んだつもりでも、相手がその時どんな感情の状態にあるかによって、言葉の受け取られ方は全く変わってしまうのだ。部下との信頼関係が築けていれば、こちらの言葉はポジティブなフィルターを通して届く。しかし、関係がこじれていれば、ネガティブなフィルターが認知を歪ませ、真意が伝わらなくなる。わたしたちの言葉は、相手の感情という色眼鏡を通して見られているのだ。

さらに面白いのは、この「認知」と「感情」の関係が一方通行ではないことだ。感情が認知に影響を与えるだけでなく、認知がその後の感情を決定づけるという側面もある。
例えば、友人が待ち合わせに遅れてきたとしよう。この時、「きっと電車が遅れたんだろう」と解釈(認知)すれば、生まれる感情は心配や許容だろう。しかし、「自分との約束を軽んじているんだ」と解釈(認知)すれば、怒りや不満といった感情が湧き上がってくる。
出来事そのものが感情を生むのではない。その出来事を「どう意味づけ、評価するか」という認知のプロセスが、感情を生み出すのだ。
これを仕事の指示に置き換えてみよう。上司からの指示を、部下が「自分の成長を期待してくれている、挑戦的な仕事だ」と肯定的に認知すれば、モチベーションというプラスの感情が生まれ、「期待以上の成果を出そう」と行動するだろう。
しかし、同じ指示でも「また面倒な仕事を押し付けられた」と否定的に認知すれば、やる気のない感情が生まれ、結果としてやっつけ仕事になったり、優先順位を下げていつまでもアウトプットが出てこなかったりする。
結局、わたしたちがどれだけ完璧な理屈を並べ立てても、それだけでは人は動かない。その理屈は、相手の「認知」というプロセスを通過し、そこで生まれる「感情」によって、初めて行動へのエネルギーに変換されるからだ。
マネジメントとは、詰まるところ「自分がどう伝えたか」ではなく、「相手がそれをどう受け取ったか」に意識を向ける作業なのだろう。それはとても面倒で、骨の折れることかもしれない。しかし、血の通った人間が介在する以上、このプロセスを無視して物事が進むことはない。ロジックで人は動かない。人を動かすのは、いつだって認知によって意味づけられた感情なのだ。