部下にとって「楽しい・つまらない」が仕事のすべてになった時代
最近、「この仕事は楽しい」「あの仕事はつまらない」という言葉をよく耳にすると聞く。我々の若い頃には「仕事を選り好みするな」と言われたものだが、今やそんな精神論は通用しない。彼ら彼女らにとって「楽しい」と感じられるかどうかが、仕事へのモチベーションを左右する絶対的な基準になっている。
では、彼ら彼女らが言う仕事の「楽しい」とは何だろうか。それはレジャーやエンタメの楽しさとは少し違う。それは、自らの成長につながる実感や、目的が明確で社会の役に立っているという手応えだ。この感覚をマネジメント側がどう提供できるかが問われている。
話は少し逸れるが、部下たちの価値観を理解するヒントが「体育」と「スポーツ」の違いにある。我々が子どもの頃に経験した「体育」は、軍事教練がルーツだ。水を飲むな、うさぎ跳びをしろ、ミスをしたら連帯責任でグラウンドを走れ。そこにあったのは、国家による規律と上からの命令の亡霊だったのだ。
一方、「スポーツ」は民主主義から生まれた自発的な文化だ。ルールのもとで技術を競い合い、楽しむことが本質にある。ボクシングの井上尚弥選手が見せる圧倒的な技術のように、そこでは精神論よりも合理性が重視される。
今の若い世代は、生まれてからずっと、このような合理性をあたり前のものとして育ってきた。非合理的な命令や根性論には、生理的な嫌悪感すら抱く。彼ら彼女らが仕事に「つまらない」と感じるのは、かつての我々が「体育」に感じた理不尽さと、どこか通じるものがあるのかもしれない。

では仕事に「楽しさ」を見出すのはどんな時だろうか。それは、いくつかの要素に分解できる。
第一に、仕事の目的が明確であること。「この仕事が、誰のために、どのように役立つのか」を具体的に理解できると、彼らは俄然やる気を出す。ただの作業ではなく、価値ある貢献だと感じられるからだ。
第二に、自分の成長につながると実感できること。今の自分の能力では少し難しいレベルの仕事に挑戦し、努力の末に乗り越える。その過程で新しいスキルを身につけ、できることが増えていく。この成功体験こそが、仕事の根源的な楽しさの源泉となる。
逆に言えば、これらの要素が欠けた仕事は「つまらない」ものに映る。「石の上にも3年」といった我慢や、「苦労は買ってでもしろ」といった精神論は、非合理的なノイズでしかない。そんな匂いを嗅ぎ取った瞬間、彼ら彼女らは仕事の意味を見失い、「静かな退職」へと向かってしまう。
部下に「楽しい」と感じてもらうには、どうすればいいか。答えはシンプルで、コミュニケーションを密にし、言葉を尽くすことだ。一人ひとりの能力や仕事の状況を正確に把握した上で、なぜこの仕事が必要なのか、なぜ任せたいのか、そして、それが成長にどう繋がるのかをていねいに説明する。
もはや「阿吽の呼吸」や「言わなくても分かるだろう」といった考えは通用しない。一つひとつの仕事をアサインする際に、まるで期初の目標設定をするかのように、時間をかけて認識を合わせていく必要がある。
面倒な時代になったと感じるかもしれない。しかし、これが現実だ。裏を返せば、今の若い世代は、仕事の意味や成長への繋がりをきちんと理解すれば、期待をはるかに超える成果を出してくれるポテンシャルを秘めている。彼ら彼女らは非常に優秀なのだ。
その能力を最大限に引き出す鍵はマネージャーの側にある。部下と真摯に向き合い、ていねいなコミュニケーションを重ねていくこと。それこそが、これからの時代に求められるマネジメントではないだろうか。