64歳11ヶ月
最近「満65歳と64歳11ヶ月で退職した場合の違いについて教えて欲しい」という相談があった。
どうやら60代前半界隈のコミュニティでは、この「1ヶ月の差」を巡ってさまざまな情報が飛び交っているらしい。定年後の長い人生をどう設計するか、その軍資金とも言える雇用保険の給付額が、退職のタイミング一つで劇的に変わると聞けば、無関心ではいられない。
イマドキ、ネット記事やSNSなどさまざまなソースから簡単に情報収集することができる。一方で人間は自分に都合のいい情報のみ記憶するのが得意であり、ここが誤解や思い込みを生む原因となるパターンが多い。
店主はあらためてこの問題を整理してみた。そこに見えてきたのは、制度の複雑さが招く現場の誤解と、国の政策が抱える構造的な「ねじれ」である。
まず、多くの人が陥る罠が「自己都合」と「会社都合」という言葉の解釈だ。
これらは法律上の厳密な用語ではない。企業が就業規則や退職金規定を運用するために便宜上用いている「私的な定義」に過ぎないのである。労働者は「会社都合扱いになれば失業給付が手厚くなる」と考えがちだが、ハローワークの判断基準は別にある。企業が社内でどう呼ぼうと、雇用保険法上の「特定受給資格者」に該当するかどうかは、客観的な基準によって決まる。
特に根深いのは「定年退職は会社都合である」という思い込みだろう。
「会社の決めた年齢ルールで辞めさせられるのだから、当然会社都合だろう」という言い分は、心情的には理解できる。しかし、失業給付の枠組みにおいて定年退職は「あらかじめ労使間で合意していた労働契約期間の満了」と整理される。つまり、自己都合退職と同等の扱いを受けるのが通例なのだ。この制度上の事実と従業員の感覚的な「会社都合」とのズレは、退職時の不満や無用なトラブルの火種となりかねない。
そして問題の「65歳の壁」である。ここには、雇用保険法と高年齢者雇用安定法が引き起こす、決定的なアンマッチが存在する。
65歳に到達する「前」、例えば64歳11ヶ月で退職した場合、その人は「基本手当」の対象となる。加入期間によっては最大で150日分という、極めて手厚い給付を受けられる可能性がある。
一方で、65歳に到達した「後」に退職すると、給付は「高年齢求職者給付金」という一時金へと切り替わる。こちらの給付日数は最大でも50日分。たった1ヶ月の差が、受給総額において数十万円、時には百万円以上の格差を生んでしまうのだ。
国は今、「70歳までの就業機会確保」を掲げ、高齢者が長く働く社会を推奨している。しかし、雇用保険の仕組みは「65歳直前で辞めたほうが金銭的に得である」という、逆行したインセンティブを放っている。長く貢献しようとする意欲的な人材ほど、制度の壁に直面して「損をさせられた」と感じる構造になっているのだ。
こうした制度の「ねじれ」や、言葉の定義による誤解を放置しておくことは、組織にとってリスクでしかない。
多くのシニア従業員は、自力で情報を集め、損得を計算している。会社側が「制度のことだから」と口を閉ざしている間に、現場では不信感が静かに積もっていく。ライフプランセミナーなどを通じ、早い段階で正確な情報を開示し、誤解を解いておきたい。
そして法律そのものの矛盾は、一刻も早く解消して欲しいものである。