部下を「無難」に育てることの罪
少し前の時代、職場のどこかには必ず、やたらと理屈をこねたり、時には上司の指示に「それは目的とズレていませんか」と正論で噛み付いてきたりする、いわゆる「面倒くさい若手」がいたものである。しかし最近は、そうした扱いづらい部下の姿をめっきり見かけなくなったように感じるのは、店主だけだろうか。
波風を立てず、ミスをせず、言われたことを無難にこなす。そうした部下を育てることには、確かにマネジメント上の明確なメリットが存在する。決められた手順を確実に守るため品質のブレがなく、組織に大きな損害を与えるような致命的な失敗も防ぐことができる。何よりも、強い自己主張をせず指示に忠実な部下は、上司にとって予測可能であり、日々の管理負担を大きく軽減してくれる。衝突がない分、チーム内の表面的な和も保たれやすいだろう。
この「無難さ」を求め、最適化しすぎるあまり、私たちは組織にとって最も重要なエンジンを自ら止めてしまっているのではないだろうか。
面倒くさいことをいちいち言ってきたり、生意気な正論で切り込んできたりする部下は、往々にして頭の回転が速く、物事の本質を見抜く力を持っている。彼ら彼女らが異議を唱えるのは、単に反抗したいからではなく、その根底に「この組織や仕事をもっと良くしたい」という熱量があるからなのだ。
そのコミュニケーションの不器用さや、相手の立場への配慮のなさがすれ違いを生むことは多々ある。だが、彼ら彼女らを単に「扱いづらい」と敬遠し、「とりあえず波風を立てるな」と無難の枠に押し込めることは、短期的な平穏と引き換えに、中長期的な組織の成長力を確実に削いでいくのである。

「失敗しないこと」や「怒られないこと」が目的化してしまえば、新たなアイデアの提案や、既存のプロセスを根本から見直すような挑戦は決して生まれない。言われたことをマニュアル通りにやればいいというマインドは、次第に仕事へのモチベーションを奪い、自ら課題を見つけて解決する主体性を失わせる。そうして出来上がるのは、指示がなければ動けない、見事なまでの「指示待ち人間」である。
さらに恐ろしいのは、そうした優秀な人材の静かな流出なのだ。自らのポテンシャルを試し、成長したいと願う彼ら彼女らは、「無難」を強要される窮屈な環境にやがて見切りをつける。「ここでは自分の本音は歓迎されないのだ」と悟った彼ら彼女らは、もはや正論をぶつけることすらやめ、静かに去っていく。後に残されるのは、前例がなければ動けない、未知のトラブルや想定外の事態に極めて脆弱な組織だけである。
部下を無難に育てることは、いわば「守りのマネジメント」なのだと思う。法令遵守や安全管理など、ミスが許されない領域では組織の土台を固めるために不可欠である。しかし、それだけでは変化の激しい時代を生き抜くことはできない。
これからのリーダーに求められるのは、確実性を担保すべき領域とそうでない領域を見極め、「安全に失敗できる範囲での挑戦」を意図的にデザインしていくことである。たとえ彼ら彼女らが失敗しても、頭ごなしに否定せず、そのプロセスから共に学ぶ余裕を持ちたい。
生意気な正論の奥にある「良くしたい」という純粋な気持ちにリスペクトを払い、その熱量を前向きなベクトルへと導いていくことにフォーカスしていきたい。