Cafe HOUKOKU-DOH

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エピソードZERO(第1話)

これまで「人事屋修行記」として、大学を卒業して社会人になってからの人事屋としての歩みを綴ってきたが、今度は少し時計の針を大きく巻き戻し、店主がこの世に生まれてからの生い立ち「エピソードZERO」をお届けしようと思う。

 

川崎市幸区

店主が生まれたのは、1967年(昭和42年)4月15日のことだ。場所は神奈川県の川崎市幸区。当時は高度経済成長期の真っただ中で、「いざなぎ景気」と呼ばれた熱気に日本中が包まれていた。当時の川崎駅西側はまだ工場が多く立ち並んでおり、第一京浜国道のすぐ裏手にあるアパートで、店主の人生はスタートした。

 

店主の父親は仙台の出身であった。工業高校を卒業後、どうしても防衛大学校に進学したいという強い思いがあり、初回の受験には落ちたものの「自衛隊に入隊すれば防衛大の受験資格の年齢制限が引き上げられる」という制度を利用して自衛隊に入り、働きながら防衛大を目指したそうだ。しかし、やはり夢は叶わず、その後は東京の電気工事会社に就職して働いていた。

 

一方、母親は山梨県生まれ。本栖湖のすぐ近くにある山深い集落の出身である。中学卒業後、当時のいわゆる「金の卵」(集団就職などで都市部へ働きに出る若者たちの呼称だ)として東京へ出てきた。そして、当時の花形職業の一つであった和文タイプライターのタイピストとして、父親と同じ電気工事会社に勤めることになる。

 

そんな二人が同じ職場で出会ったわけだが、ロマンチックな大恋愛……というわけではない。聞くところによると、いかにも昭和らしい「おせっかいな上司」が職場におり、半ば強引に二人をくっつけて、仕方なく結婚させられたのだそうだ。母親は思い出すたびに、いつもそのことをボヤいていた。

 

 

新婚生活を始めた川崎の家は、母の親戚が経営する住居兼アパートの一室だった。店主を出産したことで母親は会社を退職し、育児に専念してくれていたが、店主が2歳になろうとしている春、父親に転勤の話が舞い込む。転勤先は同じ会社の仙台支社。こうして私たち家族は、父親の実家がある仙台へと引っ越すことになったのである。

 

仙台での新しい住まいは、もともと祖父が営んでいた新聞屋の場所にあった一軒家だった。住所でいうと仙台市若林区。家のちょうど斜向かいには「仙台一高」という高校があり、春になると校庭の土手の桜が満開になる、とても美しい場所であった。2歳からの店主の生活は、この仙台の地で本格的にスタートする。

 

こうして振り返ってみると、店主の人生には「場所」に関する伏線のような、不思議な巡り合わせが多い気がしてならない。

 

川崎市で生まれ、2歳から大学卒業までずっと仙台で過ごしたにもかかわらず、全く真面目に就職活動をしていなかった店主がたまたま拾ってもらった会社で最初に配属されたのは、なんと生まれ故郷の川崎市にある工場だった。

 

また、後にひょんなことから目指すことになった高校は、仙台で最初に住んだ家の斜向かいにあった、あの桜のきれいな高校だったのだ。

 

人生には、一見偶然のように思える出来事でも、後から点と点がつながって線になるような「巡り合わせ」が存在する気がしている。自分の意思だけではどうにもならない運命のようにも感じるが、その時々で与えられた場所やご縁を大切に生きていくことが、後々の人生の豊かな伏線になっていくのだと、自分の生い立ちを振り返って改めて感じている。

 

2歳の時に父親の実家のある仙台に引っ越してきて、ここから就職までの仙台での生活がスタートするのである。

 

つづく…