Cafe HOUKOKU-DOH

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エピソードZERO(第2話)

一目千本桜

店主の記憶の中で最も古いものは、2歳になった直後に川崎から仙台に引っ越してきた後、家族で宮城県の南部へ花見に行った時の記憶である。

 

そこは「一目千本桜」といって、白石川の土手沿いに見渡す限り桜並木が続き、その先に残雪の蔵王連峰が浮かぶという、今でも大変人気のスポットだ。現在でも、在来線が花見の季節になるとこの区間を徐行運転して乗客を楽しませてくれるような風情ある場所である。

 

 

その花見に向かう道中、最寄りの駅の改札か待合室で、たまたま居合わせた観光客の方に「可愛いね」と声をかけられ、キャラメルをもらった。弟が生まれる前なので、おそらく2〜3歳くらい。これが店主の中にある最古の記憶である。

 

当時はまだまだ四輪車は高嶺の花であり、ご多分に漏れず赤坂家にも四輪車はなかった。我が家の足となっていたのは、父親が通勤に使っていたホンダスーパーカブの90ccであった。何を隠そう、このスーパーカブ90こそが赤坂家の「家族の足」だったのである。

 

当時はまだまだおおらかな時代で、ヘルメットの着用義務どころか、存在すらほとんどの人が知らないような時代だった。店主がまだ1歳の頃、家でぐずって泣き止まないと、父親がおんぶ紐で背中にくくりつけ、バイクで新鶴見機関区(今の新川崎駅あたり)まで連れて行き、蒸気機関車や貨物の入れ替えをずっと見せて泣き止ませていたそうだ。

 

もう少し大きくなると、レッグシールドの上に取り付ける社外品の補助席(今のママチャリによくついているようなもの)に店主が座り、父親が運転、後ろに母親が乗って家族3人でいろいろな所へ出かけていた。

 

 

さらに4歳で弟が生まれて首が据わると、今度は母親が弟をおんぶして後ろに乗り、なんとスーパーカブ90に一家4人で乗って出かけていたのである。まるで2、30年前の東南アジアでよく見るような光景そのものが、赤坂家の日常であった。

 

世の中が豊かになり我が家に四輪車が来るのはずいぶん先のことになるが、だからこそ、この幼少期の経験が店主のオートバイに対する距離感を形成していったのは間違いない。

 

ノーヘルで時速30〜40キロで走る時に顔に受ける風、エンジンの音や振動、マフラーから出る排気ガスの匂いや街の空気。免許を取って自分でバイクに乗るずっと以前から、そのすべてを肌で感じ、体験していたのだ。

 

今回あらためて幼少期を思い出し、バイクとの距離感の原点はここになるような気がしてきたのであった。

 

つづく…