Cafe HOUKOKU-DOH

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エピソードZERO(第3話)

弟の誕生

花見のキャラメルの次に店主の記憶に鮮明に残っているのは、弟が誕生した前夜の出来事である。1971年の12月、店主が4歳の時のことだ。

 

土曜日の夜、家族で「8時だョ!全員集合」を見ていると、妊娠していた母親の陣痛が始まった。すぐに病院に行くことになったのだが、病院は当時の自宅から1.5キロほどの場所にあった。さすがに陣痛が来ている母親をスーパーカブの後ろに乗せるわけにもいかず、タクシーを拾おうと家族3人で外へ出た。

 

しかし、運悪くタクシーはなかなか捕まらない。結局、暗く冷たい冬の道路を、家族3人で歩いて病院に向かうことになった。大人にとっては1.5キロなど造作もない距離だろうが、4歳の幼児にとっては延々と続く果てしない夜道に思えた。

 

ただただ心細かった感情が、今でもリアルに蘇ってくる。弟は無事に生まれ、母子ともに健康だったのだが、店主の記憶は病院に到着する前の暗い夜道までである。

 

 

この時期、つまり弟が生まれた翌年に新築の家に引っ越す前の記憶がもう一つある。それが「鉄道」だ。

 

赤ん坊の頃から、川崎の新鶴見操車場(現在の新川崎駅付近)に父親に背負われて連れて行かれ、蒸気機関車や貨物の入れ替えを間近で見せられるという「英才教育」を受けたせいか、当時の店主はなによりも鉄道が好きであった。

 

仙台に引っ越してきて最初に住んだ家は、東北本線の線路からわずか2、3百メートルという、鉄道好きにはたまらない好立地だった。

 

はじめのうちは親に連れられて線路の脇まで行き、通り過ぎる列車を眺めていた。しかし、そのうちに近所の同い年くらいの友達と、あるいは一人で線路まで出かけて行くようになった。まだまだのんびりした時代とはいえ、4歳児をひとりで近所で遊ばせておくなど今では考えられない。

 

当時は東北新幹線が開業する前である。東北本線は日本の大動脈であり、上野と仙台、盛岡、青森、秋田といった東北の各地方都市を結ぶ花形の特急電車が頻繁に走っていた。

 

上野~仙台間であれば1時間に1本のダイヤが組まれており、次から次へとやってくる特急車両を線路端で眺めているのは、全く飽きることのない、最高に楽しい時間だったに違いない。

 

当時の列車を写真に収めておいたら、どんなに価値ある画像になっていただろうと思うのであった。

 

つづく…