幼稚園
仙台へ引っ越してから3年ほど経った、弟が生まれた翌年の春、店主は「聖和幼稚園」という短大の付属幼稚園に入園することになる。
当時の家から1キロちょっとの距離であったが、スクールバスなどはなく、今考えると5歳になったばかりの子供が毎日一人でその距離を歩いて通っていたのだから、我ながら感心してしまう。
その幼稚園は、当時としては先進的だったのか、イマドキの幼稚園のようにさまざまなお稽古事のようなきちんとした教育を施すことを運営方針にしていた。そんな毎日行われるカリキュラムの中で、店主がとにかく嫌で嫌でたまらなかったのが「まりつき」であった。
男の子で、根っからの鉄オタ。家の中でもプラレールで遊んでばかりいるような子供であったから、ボールを使ったまりつきなどやったことがない。みんなで一斉にワイワイやるだけならまだしも、なんと一人ずつみんなの前に出て「まりつきが何回できるか」という公開テストのようなものをやることになったのだ。店主は何度練習しても1回、まぐれで2、3回というのが関の山であった。
そして迎えたテスト当日、店主は実力行使に出る。幼稚園の通園途中に祖父が営む新聞店があり、毎日あいさつをしながら通っていたのだが、その日は「とにかく今日は幼稚園に行きたくない!今日はここにいる!」と言い放って逃げ込んだのであった。

当然、祖父たちは困り果て、すぐに自宅の母親に電話。駆けつけた母親に「行きたくないなどという主張は、わがまま以外の何物でもない」と一刀両断され、結局幼稚園に連行されてしまった。
店主は4月生まれで五十音順でも「あ」から始まるため、学校では番号順というとだいたい先頭であり、今回もトップバッターでみんなの前に出された。当然、何度やっても1回しかできない。恥ずかしさと出来なかったという屈辱で完全に打ちひしがれた。
その後、まりつきが得意な女の子が3桁に届くほどの回数を上手に連続してついているのを、先生の横で一緒に回数を数えながら眺めていた記憶が、今でも鮮明に残っている。
この出来事のせいか、幼稚園に通うこと自体が嫌で嫌でしょうがなかった店主であるが、やがて朗報が舞い込む。両親が市内に家を新築し、その年の夏に引っ越すことになったのだ。
学区が変わるため、嫌な幼稚園をやめることができた。さらにラッキーなことに、転居先の幼稚園は定員に空きがなく、翌年の春の入園まで幼稚園に通わずに済むという穏やかな日々を過ごすことになったのである。