Cafe HOUKOKU-DOH

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エピソードZERO(第5話)

初プラモデル

店主がはじめて作ったプラモデルは、トヨペットコロナ(4代目 T80/90型)だったと思う。おそらく1/24スケールで、オリーブドラブ(暗緑色)の成型色だったと記憶している。

 

当時の近所に駄菓子屋があり、その奥まった一角の小さな棚に、申し訳程度にプラモデルが置いてあった。まだ幼稚園に入るか入らないかという年齢だったが、それを見た店主は当然、「手に入れて組み立ててみたい!」という強い衝動にかられた。母親にせがみにせがみ、なんとか買ってもらうことができた。最初言い出してから実際に手に入れるまでには、結構な時間が掛かったように記憶している。

 

そして、ついに自分の手で組み立てて完成させた。今流行りのスナップキット(接着剤不要)ではなく、付属のチューブ入り接着剤を使って組み上げる本格的なものである。塗料を塗るという知識はもちろん持ち合わせていなかったが、それでもしっかりと「クルマの形」に完成していたのを覚えている。

 

幼稚園に入るか入らないかの幼児が、1/24スケールの接着剤必須のプラモデルを完成させたというのは、今から考えても我ながら驚異的だ。「親に手伝ってもらったのでは?」と思われる読者もいるかもしれないが、店主の性格からしてそれはない。

 

ja.wikipedia.org

 

自分一人で完成させることに意味があり、少なくとも記憶が残っている限り、子ども時代に勉強でも遊びでも、親に何かを手伝ってもらうという発想はまったく持ち合わせていなかった。この「何事もまずは自分でやってみる、完結させる」というこだわりの強さは、思えばこの頃から現在までずっと変わっていないのだ。

 

完成したプラモデルが嬉しくてたまらなかった店主は、当時、市内の山手の方にある新聞販売店に異動になり転居した祖父の家へ、週末の夕飯にお邪魔する際に持っていくことにした。自慢の作が見えるよう透明のビニールバッグに入れ、意気揚々と持参した初プラモデル。祖父も祖母もとても喜んでくれ、たくさん褒めてくれた。自分の手で作り上げたものを他者に認められるという、人生で初めての「仕事の成果を評価された瞬間」だったのかもしれない。

 

しかし、悲劇はその帰りに起こった。あろうことか、帰りのタクシーの中に、その大切にしていたビニールバッグごと忘れてきてしまったのである。その後、どんなに探してもコロナのプラモデルが見つかることはなかった。

 

あの時の喪失感とショックたるや、言葉では言い表せないほどである。こうして60年近く経った今でも、オリーブドラブの車体やタクシーの車内の情景を鮮明に覚えているのは、あの喪失の悲しみがそれだけ深く心に刻まれたからなのだろう。

 

その後、新しい家に引っ越したこともあり、プラモデルとはしばらく距離を置くことになった。行動圏内にプラモデルを取り扱う店が存在しなかったからである。次にプラモデル熱が再燃するのは、小学3年生の春、近所に模型屋ができて入り浸るようになる「プラモ漬けの小学生時代」を待つことになる。

 

この小さな成功体験が、店主の「自立心」や「モノづくり好き」の原点になったことは間違いない。何事も自力で成し遂げようとするスタンスは、その後の人事屋としてのキャリアにも大いに活きていると感じている。

 

つづく…