疲労の蓄積
今週月曜日から体調がすぐれず、休みをとっている。日曜日からなんとなく寒気がしはじめ、エアコンの風が直接肌にあたるのが気になりだし、パーカーを羽織っていたのだが、月曜の朝から微熱が出はじめた。
体を休めろというサインだと思い、その日は花火をキャンセルし、自宅でゆっくり過ごした。しかし明け方に目を覚ましてみると熱っぽい。どんどん体温が上がっていき、最終的には39度台前半に。
コロナかな?と思ったが咳やくしゃみも一切出ず、熱と頭痛のみ。どうせ病院に行ってもPCR検査の結果に一喜一憂させられ、コロナ向けのクスリも処方されないということだったので、かぜ薬と解熱剤を飲んで寝ることに。
さいわいにも食欲はしっかりあったので、栄養価の高い食事をきちんと採ることを心がけた。そうすると火曜日の昼過ぎには平熱まで下がったのだ。
やはり疲れがたまっていただけか、と午後からは肩慣らし程度に仕事を片付け、夕方からはルーティンの晩酌までしっかりとこなした。
しかし、翌日目が覚めてみると、喉の調子が若干おかしいのだ。熱も微熱ながら出てきた。簡単に調子が戻ってくれないのである。
考えてみると昨年の年末から気が休まらない日が続いていた。両親のガンが立て続けに再発し、治療、緩和ケア、看取り、葬儀を2セット繰り返した。最初に母親が逝ったのだが、ようやく落ち着いたと思ったら、父親のガンが見つかった。
店主の実家は仙台にあるので、週末のたびに往復8百キロのドライブ付きである。それでも会社員ではないので、ずいぶんと融通の利く働き方に助けられた。これが会社勤めであれば、こんなに両親と一緒の時間を過ごすことはできなかったであろう。
一方で肉体的、精神的な疲れは知らず知らずのうちに蓄積されていったようである。加齢の影響もあるとは思うが、自分でもびっくりするほど疲れが取れないのだ。
会社員時代を思い出してみると、忙しさがピークに達した後の長期連休には、なんどか寝込んだことがあった。まるでタイミングを合わせるように、長期連休初日に高熱が出るのである。
結局その連休は、前半は寝込んでいて、後半はつぎの仕事にそなえて療養をするといった繰り返しであった。休みの計画を立てていた家族にはずいぶんと迷惑をかけたものであった。
そう考えると、今回も体が休息を要求しているのかもしれない。
「病は気から」とはよくいったものである。やはりこのミッションをなんとかやりきらねば!と強く思うことが、体内の免疫力を高めるのかもしれない。そして達成感と同時に重圧から解放され、心の緊張が平常に戻ったとき、免疫力は平常に戻るどころか、それまで蓄積された疲労によって極端に落ちるのだろう。
今回そんなことを考えながら、ベットで横になって日々過ごしている。半年間酷使した心と体をメンテナンスして、心身の状態を復活させることに専念する一週間にしたいと思う。