キャリアへの気づき
昨日は大手人材系企業の幹部の方と10年ぶりくらいにお会いしてビジネスの話をしてきた。きっかけはひょんなことであった。
2、3週間前、その日も定刻の夕方5時過ぎに仕事を切り上げ、晩酌をスタートしていると、会社員時代の元部下から電話が入った。
話しを聞くと、彼の元後輩と食事をしている最中で、人事系のコンサルを探しているということで、店主の話題になったそうだ。その人物とは会社員時代に会って話をしており、話がつながり電話をかけてきたという。
そんなきっかけで昨日の打合せになったのだが、話をうかがうと面白い取り組みができそうな予感がしてきた。
性格的なものだと思うのだが、経験したことのない仕事、それもほかの人がやったことのない仕事に取り組むとき、ワクワクしてくるのである。
先方の実現したいことを一通りうかがったあと、参考までにと店主のこれまでの経験を簡単に紹介させてもらった。そこで話をしながら気が付いたのは、人事経験者の中でも結構特殊な経験をしていることであった。
なにが特殊かというと、M&Aがらみの経験が多いのである。
まず、担当者時代には、自分の会社を含むOEM傘下のグループ会社3社の合併を経験した。当時は合併効果を早く出すことを期待され、従業員の融和融合を合言葉に、労働条件などはすべて統一することを目指し、約3年ほどかけて整合作業を行った。
2000年代前半には、大手通信機器メーカーから、カーエレクトロニクス事業を譲り受けた。50~60名ほどの従業員の出向、転籍を受け入れるため、処遇や取扱いなどの調整作業からはじまり、受入れの実務まで係長の立場ですすめたのだ。
リーマンショックの際には、会社経営の危機がさけばれ、国内にある製造拠点2か所を閉鎖し、宮城の主力工場への集約作業を担当した。当時閉鎖する拠点にいた約5百名の異動、転勤や、やむを得ず転勤できない従業員の取扱いなどを、人事課長の立場で取りまとめた。
その後、2010年代前半には、大手化学メーカーから熱交換器事業を譲り受け、従業員約200名の転籍を受け入れた。このときはDB(確定給付企業年金)を移換するという話になり、かなり勉強させられた。
2016年には国内空洞化の対策として早期退職を企画、実行し、国内単独の約1割にあたる4百名の仲間に、あたらしいキャリアを選択してもらうというキツイ仕事も経験した。
ちなみにこれらプロジェクトは、ショップ制とはいえ、労働組合員が対象となっていたので、すべて労働組合との交渉付きである。
あたらしい会社に移ってからは、地方にある製造拠点の老朽化と収益見通しのため、事業の切り出しと、JV設立を企画した。その後、JVは順調に立ち上がり、聞けば業績も好調だという。
キャリアをお話しすると、こんなマニュアルも答えもない仕事を経験し、かつ企業に属さずフリーランスとして活動している人材は希少だと褒めていただいた。
この経験をクライアントのお手伝いに活かしていけるよう、もっとアンテナを高くして活動していこうと考えながら、丸の内から帰ってきたのであった。