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人事屋修行記(第130話)

生活再建

地震から2週間弱で電気や水道といったインフラが開通し、徐々にではありますが、工場では生産活動が再開し始めました。一方で宮城県などの被災三県では深刻なガソリン不足で自家用車での通勤ができず、急遽、近隣の貸切バスを20台近く借上げて通勤バス網を構築し、送迎を行いました。

 

宇都宮の研究所と宮城の工場間の出張も、新幹線が普通のため、出張者用のチャーターバスを毎日一往復走らせました。高速道路はようやく開通しましたが、道路が波打っているような状態でスピードも出せず、自衛隊や警察の車両などがたくさん走っている異様な光景だったことを覚えています。

 

会社の事業活動がようやく軌道に乗ってきた頃、会社としての生活再建支援策を立ち上げることになりました。国内単独の社員4千5百人のうち、宮城の工場には約3千人が働いていましたが、そのうち約百名ほどが津波などで被災し、仮住まいを余儀なくされていました。

 

 

まずは住宅の確保ということで、自社物件の独身寮を被災して住宅が確保できていない社員に当面無償で貸与することにしました。住宅確保の次は、生活再建の経済的支援が必要です。被災した住宅の再建費用などに充てるための緊急融資制度の検討に入りました。

 

会社から直接融資するスキームにすると、完済までの間、事務手続きが煩雑となってしまいます。経理が仕組みの導入に難色を示していると、メインバンクから会社が保証人になることで、低利融資を実行してくれる商品を被災者向けに開発してくれるとの話しをいただきました。

 

この内容に点店主は飛びつきました。面倒な社員との間の金銭のやり取りや返済残高の管理などが全部省けるのです。その代わり会社が保証をするということで、社員の住宅に抵当権を設定する必要がありましたが、設定と解除の2回だけの手間であり、実質は外部に委託するので工数的は比較になりません。

 

無事、融資プログラムは立ち上がり、子会社の社員も含めて十数人に利用してもらうことができました。

 

当初、会社としてそこまでやるべきかと結構自問自答しつつ、企画をして行きましたが、一人でも二人でもこの制度によって、生活再建に道筋が見えたのであれば、会社としての社員に向き合うスタンスとしては、間違っていないと申込者が出たときに確信したのでした。

 

つづく…