Cafe HOUKOKU-DOH

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人事屋修行記(第129話)

復旧作業

地震の翌日、電車が動くのにあわせて宇都宮への移動を始めました。鉄道の動きが悪く、結局赤羽からタクシーで丸一日かけて宇都宮へ戻ることに。宇都宮の社宅は驚くほど何もなかったようにそのままで、唯一観葉植物が一つ倒れていたくらいでした。

 

翌日は日曜でしたがとりあえず出社して、会社の状況を確認です。宮城の工場は設備などの損傷はあったものの、大きな被害はなく、電気、水道などのインフラ復旧後72時間で稼動再開に向けて準備をはじめています。

 

一方宇都宮の研究所は、食堂の壁が倒れたり、情報システムのサーバーが全部倒れるなど、相当な被害が出ており、余震も続く中、いまだ建屋に入ることができない状態でした。まだ電話はつながりにくかったものの、とりあえず停電していなかったことだけは助かりました。

 

社員の安否確認を進めつつ、会社としての復旧方針を確認しながら決めなければならないことを洗い出していきました。翌日の月曜日からは出勤日なのですが、仕事どころか建屋にすら入ることができません。とりあえず、組合員は一週間自宅待機とすることを決め、全社員に伝えました。

 

 

3日目からは建屋の一部の立ち入りができるようになり、とりあえず会議室に仮のオフィスを構えて洗い出しを続けました。3月の給与支払いをどうするか、3週間後に迫った入社式をどうするか、自宅が津波などで被災した駐在員の帰国をどうするか、自宅待機の期間の勤怠をどうするか、などなど前例にないことを優先順位を決めて、その場その場で決めていかなければなりません。このときほど物事を決めることのトレーニングになったことはないといまでも思っています。

 

宮城の工場では毎日社員が出勤して、設備や建屋の復旧作業にあたっていますが、震源地に近いこともあって、食料やガソリンなど物資不足が深刻でした。そんな中、せめて食事だけでもしっかりとしたものをということで、埼玉の弁当業者から毎日2千食ほどの弁当を調達し、宇都宮の研究所から自前のトラックで定期便を出して運びました。

 

宇都宮の研究所では、管理職は毎日出社しています。設備や建屋、購買や営業などの担当は、生産の復旧に備え、在庫の確認や調達先の被災状況、代替部品のなど、コンピューターが止まっている中、膨大な情報を手作業で調べ、まとめていました。

 

しかし、それ以外の管理職はネットワークも動かず、建屋にも入れないので、毎日、宇都宮の街へ繰り出し、スーパーを回って宮城の工場へ送る物資の調達に走り回っていました。朝出て行って夕方3時の定期便に載せるように食料品から日用品までさまざまなものを集めてきます。

 

とても困難な状況の中でしたが、誰がいいだす訳でもなく、一人ひとりがやらなければいけないことを自分なりに考えて行動し、一致団結してチームワークを発揮してさまざまなことに対処していました。あのチームワークがあれば、どんなことだって成し遂げることができるのに、なぜ日頃から出せないのかと思ってしまうほどでした。

 

つづく…