ルネサス支援
東日本大震災では多くの企業が被災し、サプライチェーンが寸断されました。前職の自動車業界も同様でしたが、なかでも深刻だったのは、車載用コンピューターの心臓部分であるマイコンに使う半導体工場が被災したことでした。
ひたちなか市にあるルネサスエレクトロニクスは、自動車向け半導体チップの生産で当時世界シェア4割、国内向けでは実に9割を占めていました。地震による被害は甚大で、工場内の製造設備は転倒するなどし、復旧までには半年以上はかかるといわれました。
1台の自動車はおよそ2~3万点の部品から構成されていて、その一つでも欠けるとつくれません。また部品の一つひとつはその製造設備も含めて、品質面が要求水準を満たすかどうか、完成車メーカーの認証を取る必要があり、簡単に代替品に切替えることができません。
このままでは日本の自動車産業に深刻な影響を与えてしまうとの危機感から、自動車工業会でルネサス那珂工場の復旧作業を支援することになりました。トヨタ、日産、ホンダといった主要OEMならびに車載コンピューターを手がけるデンソー、カルソニックカンセイ、日立オートモーティブ、そして前々職のケーヒンから合計百人近いエンジニアが派遣されました。
支援は4月からスタートしましたが、当時はまだ震災後の混乱が続いている状況です。大勢のエンジニアが復旧作業に専念できるようにと、各社の人事メンバーを中心とした間接部隊も支援に派遣され、おもに宿泊先や食事の手配を担当しました。
復旧作業は土日なども関係なく毎日続いていて、5月連休も一日の休みもなく予定されていました。前々職の会社も人事の管理職が数日交替で現地に詰めていて、店主の担当時期が連休にまわってきました。
那珂工場に着いてみると、ルネサスの社員を中心に、自工会の支援メンバーそれから大勢の工事業者や設備業者など、まるで工事現場のようでした。前々職の支援メンバーの責任者は、電子制御ユニット開発の部長が担当していて、以前から面接などを一緒にしていて知った仲だったので、あたたかく迎え入れてくれました。
現地でやることといえば、支援メンバーの管理と宿泊先、食事の手配のみなので、ほとんどはなにかあった場合に備えて、事務所に詰めているだけです。OEM、部品各メーカーの方々と同じ部屋にいて見ていると、企業文化というか、系列文化というかそれぞれカラーが違ってとても興味深いものがありました。
また、自工会支援のまとめを担当していたトヨタの方から食事に誘われ、めったにない機会に恵まれました。元町工場の工務部長を中心としたメンバーでしたが、さまざまな話を聞く中で、東日本大震災発生後の対応は、サプライチェーンの被災状況確認から各部品の供給見通し、在庫の確認などを実に手際よく行ったそうです。
その理由を聞くと、なんと2004年に起こった新潟中越地震で同じようにエンジン部品の製造メーカーが被災し生産に影響が出た際に、対応した経験をすべてマニュアルにまとめ、イザというときの手順書として徹底していたそうです。一流の会社というものは、あたり前のことをきちんとやるのだとあらためて関心させられたことを覚えています。
半ば強引とも言える自工会支援の甲斐もあり、那珂工場では見通しを大幅に短縮し、約3ヶ月で生産再開にこぎつけることができました。こうして5日間の担当期間を無事終え、残り2日の休みを過ごすべく、ひたちとはやぶさを乗り継いで仙台まで帰り、2011年の5月連休は終わったのでした。
つづく…