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人事屋修行記(第33話)

ローカルルール

人事情報システム更新のプロジェクトは、毎週水曜日のミーティングを中心に進んでいました。自分たちがやりたいことを出しつくし、システムに必要な機能を整理していくと、次にシステムで実現したい処理を、現状の業務の流れをベースに検討し、どの部分をシステム化するかを決めていきます。

 

当時、給与計算の仕事は、システムは全社で一本だったのですが、オペレーションは宮城、川崎、本社と3ヶ所でやっていました。現状の仕事の流れを棚卸ししていくと、それぞれの場所で違ったオペレーションや違った処理をしていることが明らかになってきました。

 

当然、同じ会社ですから同じ就業規則、ルールであり、労働組合も一つで協約も同じです。でも、取扱いが違っている部分が結構出てきました。当時は運用内規のような規定の解釈をきちんと文書で残しておく仕組みがなく、就業規則や協約の文言の解釈は、各地区の担当者にすべて任されていました。

 

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担当者に判断を任せること自体は間違いではないのですが、その判断の内容やそこに至った考え方を各担当者どうしで整合し、共有しておかなければ当然、その結果は違ったものになってきます。いわゆるローカルルールってヤツです。

 

まあこれが出てくること出てくること。以前からお互いなんとなく気づいてはいたものもあったのですが、それを直そうという機会もなく今まで来ていました。例えば、残業2時間の後には、30分の夕食休憩があり、食事も無料で提供していました。

 

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ところが食事のとり方は、川崎工場では申込者が現物を受け取るのではなく、食堂が20時まで通常通り営業していて、食べたい人は食堂に行って自分の食券で食事を食べる方法でした。そして、勤怠で残業を2.5H以上している日数分の「食券引換券」が給与袋に付いてきて、それを食券売り場で食券と引き換えるという方式でした。

 

川崎工場は通勤時間が長いせいもあり、残業をする人はほとんど食事を採っていました。しかし、宮城の工場は通勤時間が比較的短いので、ほとんど食事をする人がなく、食券は事実上、食事代分の給与となっていました。(当然課税などしていません)

 

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それから三交替の3勤(深夜勤)の週の最初の始まりが、宮城の工場は日曜日の夜からスタートなのに、川崎工場は月曜日の夜スタートだったり、家族手当の支給基準が税法上の扶養に完全にリンクして暦年ベースで支給対象になるところと、健保のように実態ベースで支給をしていたりと、まあ今考えるとあきれるほどバラバラでした。

 

こういう内容は一つひとつ本来どうあるべきかをメンバーで議論して決め、必要があれば課長、部長に提案して了解を取り付け、組合と話し合い、社内に周知していくようなプロセスを経て、直していきました。システム化を立ち上げるよりも、このようなルールや取扱いを整理していく作業に結構な時間を費やしていました。

 

この作業からメンバーは規定やルールの考え方や解釈、判断をきちんと整理して、文書化し、共有していくことの大切さを痛感していきました。これが後に店主が「運用内規」集を作成するきっかけになったことは言うまでもありません。

 

つづく…