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人事屋修行記(第36話)

新入社員

当時の仕事の区分として、高卒者の採用は、各工場人事の役割となっていました。新入社員で配属された直後から、都内西部と神奈川県内の高校をまわって、進路指導の先生に学生へ会社を紹介してもらうよう、あいさつとお願いをしてまわる、いわゆる「学校まわり」を先輩と手分けをして毎年100校程度、5月頃から3ヶ月くらいかけて活動していました。

 

高卒採用の解禁日(面接開始日)は、高校同士の申し合わせで決まっていて、毎年9月の中旬に設定されていました。高校生の就職活動は、基本的に学校の進路指導部を通してのみ行われ、求人票の届いている企業の中から、学生と先生の話し合いで決定し、単願といって、一つの企業のみを受験し、その企業が不採用だった場合のみ、他の企業を受験できるという仕組みになっています。

 

9月の面接日には、就職を希望してきた高校生に会社にきてもらい、工場見学と面接を行います。当時は、バブル景気の余韻が残る時代で、オートバイも年間120万台と現在の4倍くらい売れている時代でした。

 

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川崎工場は、慢性的な人手不足で、工場のコア人材となる高卒者はできるだけ多くの人数を採用したいと考えていました。しかし、都内西部や川崎、横浜といった京浜工業地帯で優秀な人材を採用するのは、至難の業でした。川崎工場から徒歩圏内にある企業だけで、隣はNEC、近所に三菱ふそう、2つ隣の駅に東芝富士通多摩川の向こうにキャノンと日本人なら誰でも知っているような大企業が山ほどありました。

 

そんな中で、当時の会社の採用力といえば、中小企業と変わりなく、採用活動はいかに会社を売り込んで、気に入っていただくかということに終始していました。工場をしっかり見てもらって、仕事のイメージをつかんでもらい、入社後のミスマッチをできるだけ少なくします。面接もいかに会社にいい印象をもってもらうかという売り込みの要素が大きく、面接の中での人物評価は、完全にネガティブチェックのみでした。

 

面接後に内定を出すと、その後の仕事は入社式と受入れ手続きです。入社式は宮城の研修厚生センターで全社一括で行っていました。当日の朝、東京駅に集合してもらい、先輩の引率で新幹線に乗って向かいます。研修厚生センターで入社式と直後の集合研修をやった後、川崎工場での受入れ手続きがあり、そこからが工場人事の担当です。

 

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当時は川崎工場だけでも20~30人程度の入社人数がいて、その受入れの準備だけでも大仕事でした。社員コードの付与から始まり、IDカードの準備、ロッカー、作業服と身に付けるものだけでもたくさんのモノを準備します。その後、入社時に必要な書類一式を準備してようやく準備完了です。

 

当日は、朝早くから食堂に集合してもらい、受入れ手続きスタートです。まずは、ロッカーに行って作業服に着替えてもらいます。作業服に着替えるだけのことなのですが、ベテランと新入社員の差はこんなところにも表れ、まあ段取りが悪く時間がかかります。

 

店主は、以前から作業服への着替えと、食事とトイレの速さは、仕事のスピードに比例するという持論をもっていますが、新入社員の着替えは平均で5分程度、遅いと10分の時間をみなければなりません。そんな感じで丸一日かけて説明をして夕方、現場の班長さんに引き渡して終了となります。

 

いつの年も新入社員を受け入れるのは、こちらのテンションも上がり、なんとなくうれしい感じがしていいものです。やはり、会社という組織は、定期的に新入社員を受入れ、そのこと自体で職場を活性化させていく必要があるのだと思います。

 

つづく…