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人事屋修行記(第108話)

年末調整

給与厚生課の課長になってはじめての年末調整がやってきました。前々職では給与計算業務を自社内で行っていたため、年末調整は人事部にとって一大イベントでした。10月頃から綿密な計画を立て、他の業務などのスケジュールも調整しながら、年末調整の事務処理にあてる工数を確保していきます。国内4千5百人の年末調整業務をいつも給与計算を行っているメンバーで通常業務もこなしながら対応していくので、毎年お祭りのような騒ぎでした。

 

通常どおりの仕事のペースでも、お祭り騒ぎなのですから、課長就任1年目の2007年はさらに困難が予想されていました。メンバーがガラリ入れ替わり、年末調整の業務自体はじめての経験というメンバーも多く、まだ通常の月度の給与計算業務も完璧ではないメンバーで取り組むわけですから無理もありません。

 

年末調整は11月くらいに3種類の申告書を配布、回収し、その申告書の内容を12月の賞与計算、給与計算と並行しながら全部チェックしていきます。修正や確認がないように、しっかり記入してくれていれば、そんなに手間はかかりませんが、きちんと記入してくる人の割合の方が少ないくらいです。そして、申告書のチェックが全部終わると、申告書の修正箇所をシステムに入力し、12月の給与計算を確定させ、年末調整の処理を追加で処理していく、という手順で進めます。

 

勤怠や社員の身上情報などが確定してからでないと、計算はスタートできませんし、給与支給日は毎月25日と決まっていて、おのずと計算処理に使える期間は決まってきます。その期間内で年末調整も含めて計算処理を行い、さらに間違えがないかどうかチェックをしていきます。ですので、12月はどうしても毎日深夜ギリギリまで残業し、休日もフルに出勤といった忙しい働き方になっていました。

 

特に銀行振り込みデータの締切日である4営業日前の前日は、チェックも含めて計算業務を終わらせなければなりませんので、終わるまで帰れないということになります。この年は当初から危機感を持ってのぞんだこともあり、確定の日は深夜1時頃には店主と担当と2人でなんとか終わらせることができました。

 

当時は宮城の工場から仙台の自宅まで約30キロをクルマで通勤していました。帰り道は国道4号線を走っていきます。深夜でもあり、交通量も少なく、ヒトヤマ超えた安堵感も手伝い、ボクは4号線を快調に走っていきました。

 

 

前方にトラック数台が隊列を作って走っていて、その脇の追い越し車線をシルバーのスカイラインがゆっくりと並走していました。ボクは追い越し車線を譲ってくれるよう、勢いよく追いついたのですが、スカイラインはスピードを上げてよけてくれる感じはなく、あくまで法定速度内でゆっくりとトラックを追い越していきます。

 

だんだんイライラがたまってきたせいもあり、スカイラインがトラックを追い抜いた瞬間に、ボクは「マナーの悪いクルマだ」と思いながらフルスロットルで追い抜きました。するとその瞬間、サイレンが鳴り、ミラーには追い抜いたスカイラインが赤燈を回しているではありませんか。覆面パトカーを抜いてしまったのでした。

 

ボクはすっかり観念して、クルマを止めて窓を開けました。するとパトカーから降りてきた警官が「ずいぶん急いでましたねー。どちらまでお帰りですか?」と予想外のやさしい声掛け。免許証を確認しながらさらに、「 ラッキーでしたね。測れませんでした。でもここからは気をつけて帰ってくださいね」と戻っていきました。そのとき心臓が音を立てて鳴っていたことはいまでも鮮明に覚えています。

 

あとから冷静になって考え直すと、ボクが覆面パトカーを抜いた場所あたりは、ちょうど警察署の管轄が変わるあたりでした。おそらく、あのパトカーは管轄からでてしまったので、切符は切れないとわかりつつ、警告ということで、声を掛けてきたのだと思います。それにしてもホントに運が良かったというしかありません。それ以降、安全運転に徹するようになったのは言うまでもありません。

 

つづく…