Cafe HOUKOKU-DOH

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人事屋修行記(第45話)

業務集約

店主が宮城の工場に転勤してから合併まで約1年半の時間があるのですが、転勤してしばらくたつと周囲の主要メンバーの顔と名前も一致してきて、人数の多さにも慣れ多少余裕が出てきました。

 

当時は若くて勢いがあったせいか、とにかく日常の仕事のやり方を見聞きしては、その仕事は「何の目的で」「どうあるべきか」「そのための最適な手段は」ということを考えるのがなにより楽しく、仕事中はもちろん、家に帰ってから晩酌をしながらも、休みの日に新聞や本を読んだりしても、何かそこにヒントがないかとばかり考えていました。

 

そんな店主を見ていたのでしょう。転勤時の送別会で、となりの経理課長から「転勤したら半年間は仕事をするな。まずはじっくり周囲の人々がどんな人物でどのように行動し、そしてどんなネットワークをもっているのかをよく観察しろ。それをしっかり把握してからでも仕事をするのは遅くない。今の勢いそのままで向こうで仕事をすると、保守的な土地柄、受け入れてもらえず潰されかねないからな」とアドバイスをもらいました。

 

アドバイスどおり、転勤後しばらくの間は今までのやり方をしっかり踏襲し、その間、なぜこのようなやり方をしているのかを、過去の経緯もふくめて調べたり、聞いたりしていました。そうするとそこには変える必要がないから変えないという消極的な理由だけではなく、そうせざるを得ない背景や歴史がざまざまに存在することが見えてきました。

 

そんな事情がわかればわかるほど、店主の「こうあるべき」は刺激されていき、ある時期からさまざまに提案を始めました。当時の上司は、常に課題感を持ち、変えることが是であるというスタンスの係長と、実務は一番詳しい担当にまかせるというスタンスの課長でした。この二人の存在がとても大切な経験をさせてくれました。

 

とにかく、何かをこう変えたいという提案を持っていくと、話を聞いてポイントを確認すると、「ぜひお願いするのでやってみて」という答えをすぐに返してくれました。当然、入社6年目レベルの仕事です。そんなに大した提案ではないですが、上司に手間をかけないよう、他部門の調整からイベントの開催まで、すべて自分でこなします。上司には途中経過でのポイント報告と最終の結果報告のみといった感じですすめていました。

 

そんなスタンスで、休暇カードを廃止して勤怠届にしたり、製造派遣の管理方法を変えたり、年末調整の扶養控除申告書の配布回収方法を見直したりと、あるべきやり方に変えて行きました。そんななかで一番の大仕事だったのが、給与計算業務の集約でした。

 

店主が担当する以前から、給与計算は拠点ごとにオペレーションを行っていました。システムは一つなのですが、データの投入とアウトプットのチェックは、各拠点ごとにやっていました。その当時も本社、川崎と担当者がいました。

 

2年前にシステムを新しくしたことで、理論的には一ヶ所で集中オペレーションができるように設計をしていましたが、業務フローを見直すまでは時期尚早ということで、手をつけていませんでした。

 

店主は、これを完成させれば、当初のシステムの設計思想どおりの運用になるし、全社で見ればかなりの効率化になると考え、是非すすめるべきと転勤が決まったときからひそかに計画していました。特に集約して工数が増える宮城の工場担当になるのが店主ですから、実現性は高いと見ていました。

 

企画書を作成し、上司のOKを取り付けてから、各拠点の担当者ならびにその上司への説明と説得が始まりました。想定どおり、本社は二つ返事でOK。川崎は、当初できるのかという感じでしたが、店主が詳しく説明し、説得をしていくなかで、今までの川崎での実績が功を奏したのか、そこまでいうのであればということで、OKを出してくれました。

 

そんな経緯ですすめた給与計算の集約ですが、実は2年後に想定していなかった効果を生み出しました。集約の翌年に3社が合併し、その翌年の1998年には、労働条件の統一とそれに伴う人事情報システムの統一作業が行われました。

 

もし、合併後のシステム統一の時点でオペレーションが3ヶ所バラバラであったら、統一作業は、実質5社の業務フローを統一しなければならないという、非常に難易度の高い仕事になっていたと思います。

 

今がよければではなく、将来を見据えてどうあるべきかを考えることの大切さを教えられた一件でした。

 

つづく…