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人事屋修行記(第125話)

本社機能集約

前職の本社は新宿のオフィスビルにありました。置いていた機能としては、総務、法務、広報、人事、経理、財務、連結事業管理などで、一番多いときで40名ほどのメンバーがいました。

 

BtoBメーカーでは、本社機能は対外的なつながりから東京にあった方がいいのか、それとも社内各機能とのつながりから工場や研究所の近くにあった方がいいのかという議論はよくされるところですが、前職でも事あるたびにそのような話題になっていました。

 

まず、先鞭をきったのは経理部門で、銀行とやり取りをする財務の一部を除いてすべて工場に移転させました。人事も2002年に一旦人事企画を除くすべての機能を工場側に集約しました。当時、職場と一緒に異動した店主は宮城の工場に勤務しながら、採用部門の係長として全国を飛び回っていました。

 

その後、2005年に人事部が立ち上がると、やはり採用は東京にあった方が効率がいい、ということ給与厚生とグローバルを除く人事機能は、また本社に戻ってきていました。

 

 

2010年当時、リーマンショック後ということもあり、拠点配置を見直して業務効率を上げていこうという雰囲気が高まり、宮城の各工場や本社に点在していた本社機能を社長のいる宇都宮の研究所に集約しようという話しが持ち上がりました。

 

いままで本社機能は宮城の工場か本社にはありましたが、研究所への集約というのははじめての発想です。エンジニア出身の社長が開発を近くで見ていたいとの想いから、研究所に席を置いていたのですが、それに本社機能が引っ張られた格好です。

 

店主自身は、それまで本社機能が分散していることや、移転のため5回も転勤を経験していたので、正直またか、という感じのあきらめムードでしたが、当事者のメンバーたちは大騒ぎだったのはいうまでもありません。

 

研究所を増築して管理部隊150名ほどが入るスペースを捻出して引越しをしました。それまで各拠点に分散していた管理部隊がワンフロア、一堂に会するのは初めてであり、その眺めは圧巻でした。

 

ボクはこれで通算7回目の転勤をすることになり、初めての宇都宮暮らしがスタートしました。しかしながら、年が明けてまもなく、人事企画の専任部門立ち上げの話しが持ち上がり、管理本部長お膝元の新宿に置くことととなり、ボクは人事企画のメンバーとして過去最短8ヶ月で再度8回目の転勤をすることになったのでした。

 

つづく…