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人事屋修行記(第94話)

昇進

マネジメントアセスメントの結果、店主は2006年の4月に昇格し、同時に人事課長に昇進しました。当時の人事課は、新宿の本社に人事係を置き、宮城の工場に給与厚生係を置くという、メンバーを2ヶ所に分散している形でした。

 

前年の4月から両方の係長を兼務していましたが、10月に主任クラスが米国駐在から戻ってきて給与厚生の係長をバトンタッチし、本社で人事係を中心に見ていました。

 

昇進試験の結果は、1月に内定が通知され、その後、2月下旬に人事異動が通知されていました。4月から人事課長をお願いすると部長から言われ、順当な流れだと思う反面、果たして自分にできるのだろうか、という不安な気持ちが入り交じっていました。

 

前の年に本社転勤になるときに、家族で行こうと考えていたのですが、なにぶん異動が決まったのも急であったため、息子の学校のことなどもあり、そのときは一旦単身でスタートして、翌年の年度切り替えのキリのいいときに家族を呼び寄せようと家では話をしていました。

 

3月のある金曜日に、部長と昼メシを食べながら、今週末カミさんが家を見にくる予定だと話をすると、部長にあわてて別室に連れて行かれ、「実は、赤坂には課長になった後、宮城の工場に移って給与部門をしっかり見てもらう予定にしている」との話。

 

 

当時の給与部門は、仕事の効率が悪く残業が恒常化しており、それが品質不良を起こすといった負のスパイラルに入りつつありました。そこへ課長を投入し、抜本的な仕事のやり方を変えていくとともに、当時進行していた人事情報システムの切り替え作業を現場にいながら陣頭指揮をとって進めて欲しいとの思惑があるとのことでした。

 

結局、カミさんの計画していた東京引越し計画は頓挫し、しかしながら宮城に戻ったのも2年弱で、その後は現在に続く単身赴任に戻るのでした。

 

係長が課長になって変化することといえば、決裁権限が大きくなることと、部下の人事権をもつことや、課組織のマネジメントを行うこと、それから時間管理の対象外になることです。しかしながら、働いている本人はそれほどの変化は実は感じません。

 

プレーイングマネージャーとして、結構なボリュームの実務も抱えていますし、他部門との調整も今までの延長線上です。部下ができたといっても、部下にも仕事があり、なかなか部下に任すことができませんし、なにより部下に任せるより、自分でやってしまったほうがスピードも速く、品質も安定しています。

 

そんな日常の中でもふとしたことで、不安になることもありました。工場建屋を見ていると、こんなに大きな工場を持つ上場企業の人事課長として、自分は果たしてふさわしい人物なのだろうか。もっともっと努力して能力を上げ、アウトプットを高めていかないとダメなのではないか。そんなことをよく考えたものでした。

 

その不安をかき消すべく、努力をするのですが、その方向が間違っているということに気がつくにはずいぶん時間が掛かってしまいました。課長になったのですから、当然役割が変わってきます。具体的には4つ、仕事の整理、仕事の改善、職場の人間関係、部下育成であり、この4つに割く時間を段階的に高めていかなければなりません。

 

しかしながら、実務をやっていたほうが楽であり、なにより誰よりも自分ができるので、達成感と優越感があります。実務が一番できるのは、課長になったのですからあたり前なのですが。

 

ここの点にいつ気がつくかで、部長に上がっていく人、課長止まりの人、課長クラスでも下がっていく人の別れ道だと思います。少なくても課長の昇進試験を受けて、受かる人は主任の頃は誰よりも仕事ができる人々でした。でも役割の変化に行動を合わせられるかが、その後の成果を左右するのです。

 

店主もそれに気がつくまで、課長としての実績がなかなか出せず、苦しい時間を過ごすのでした。

 

つづく…