Cafe HOUKOKU-DOH

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人事屋修行記(第128話)

39階

3月10日の木曜日。店主と総務課長は役員秘書3人の息抜きを兼ねて、宇都宮駅東口の焼肉屋で食事会を開いていました。3人のうち2人はかなりの酒量。店主もそれに引きずられ、結構な量のお酒を過ごして帰宅しました。翌日は4月からの人事企画室立ち上げに向け、新室長との打合せ。久々の二日酔いと闘いながら新幹線に乗り込んだのでした。

 

大量の水を飲みながら、午前中の打合せを何とか終わらせ、ランチを取りながら夜の予定について考えていました。その日は以前から約束していた、他社の人事飲み仲間とのメンバーの結婚式2次会についての打合せをすることになっていました。今夜に向けて早く体調を戻さねばと液体胃薬を買って飲み干しました。

 

前々職の本社は西新宿の野村ビル。39階のオフィスで2時半を過ぎた頃、宮城の工場に勤務していた労政メンバーとパソコンで資料を見ながら電話で話しをしていました。一瞬、会話に間があいた後、「 あ、地震だ。大きい!わぁ~」という叫び声とともに、電話が切れました。

 

とてもたいへんなことが起きたと直感し、「 宮城で大きな地震が起きたぞ。まもなくこっちにも来るぞ!」と大声で叫びながら、応接室にあるテレビをめがけて走り始めました。周囲の同僚はみな、ボクの言っていることがとっさに理解できず、ポカンとしています。

 


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応接室にたどり着くまえにその大きな揺れは始まりました。とても立っていられない、いままでに経験したことのないほどの大きな揺れでした。店主は会議室の机の下にもぐって、机の脚にしがみついてなんとか転がらないようにしているのが精一杯でした。

 

その揺れは収まるどころかますます強くなっていき、このビルが折れてしまうのではないかと本気で死を覚悟しました。総務課長は窓の近くに寄るなと叫んでいました。いつ窓が割れてビルが傾き、什器もろとも投げ出されそうな勢いです。

 

その揺れはギシギシとまるで船が大きな波に揺られ、右に左にゆったりと大きく振れる感じでした。それは後に映像で見ることになった長周期振動の揺れでした。ビルが左右に4、5メートルも行ったり来たりしているようでした。

 

ようやく揺れが収まり、テレビをつけると大津波警報が東北の太平洋沿岸に出ています。店主もこの時点ではさすがにそんなに大きな津波が来るとは思っていませんでしたが、数十分後にテレビで生中継された映像は、目を疑うものでした。

 

仙台市の海沿い、若い頃からしょっちゅう走り回っていた場所が、大きな津波に飲み込まれていました。そのすぐ先ではたくさんのクルマが右往左往しながら逃げ回っています。その映像を見ながら女子社員の中には泣き出す者もいました。

 

呆然としながらもとりあえず仙台にいるカミさんや実家に電話を掛け続けていると、1時間ほどして奇跡的につながり、全員の無事がとりあえず確認できました。電話口でカミさんに大きな津波が来ているから、自宅には近づかないようにというのですが、まったく信じてもらえませんでした。それほどあの津波は私たちの想像をはるかに超える規模だったのでした。

 

結局、都内の交通機関は完全にマヒしており、その日はオフィスに泊まって様子を見ることにしたのですが、その後も続くかなり大きな余震や新潟での大きな地震、繰り返しなる携帯の緊急地震速報のアラームに一晩中さらされ、日本列島は大丈夫かと本気で考えてしまうほどでした。

 

つづく…