本社移転
それまでのの本社は、新宿駅南口の長谷工ビルの7階にありました。甲州街道と明治通りが交差する新宿三丁目の交差点から高島屋方面に5~6件先の雑居ビルで、3階には牛丼の吉野家の本社が入っていました。
今でこそ新宿駅の南口は再開発が進み、副都心線も開通して便利で人通りも多い場所になっていますが、当時は新宿の駅から徒歩2~3分の立地にしては信じられないくらい閑散とした場所で、駅の途中にあるウインズくらいが休みの日ににぎわっている感じでした。
当時の社長は、親会社で専務までいった大物で、とにかく会社をエクセレントカンパニーにするのだということを繰り返しおっしゃっていました。エクセレントカンパニーのヘッドクォーターが、新宿にありながらお客様に説明してもわからないような場所にあっては意味がない、海外からのお客様にもわかりやすい場所に移すべきだということで、本社の移転計画がスタートしました。
要件は、それまでの賃料と同等レベルで、ビルの名前を伝えれば誰でもすぐわかる場所で、当時の本社在籍従業員全員を収容できる広さを確保するというものでした。すぐに西口の著名なビルが複数リストアップされ検討開始です。
移転計画を担当したのは、本社でスタートしたばかりの人事企画でした。当時の人事企画は、マネージャーを店主の元上司が担当し、その他のメンバーとして、人事経験のある役職者が2名、それから組合員で後の四輪事業企画部長で開発から異動してきた、合計4人で構成されていました。
本社の総務機能を担当するめぼしいメンバーがいなかったもので、総務のプロであるこの4人が企画から引越しの実務まですべて担当することになり、「企画の仕事始めは引越しだ」と笑いながら話していました。
移転先は野村ビルに落ち着き、レイアウトや什器備品もエクセレントカンパニーにふさわしいものということで検討されました。とくに目玉は、応接会議室のイタリア製デスクとコーポレートカラーの青一色の壁。この壁は社長の知り合いのシートメーカーさんに頼んで用意してもらった、クルマのシート用の生地を張ったものです。
また、当時の第一応接室のソファセットは、同じくイタリア製の凝ったデザインの、やはりブルーを基調としたものでした。
引越しは2002年の7月に完了し、野村ビルの39階という場所で新たな本社がスタートしました。店主がはじめて新しい本社に行ったのは、移転から1~2ヶ月経った頃でしたが、数ヶ月前まで新宿に働いていながら、西口には足を踏み入れたことがなく、初めて行ったときには、地上を歩いていけばいいものを、雨が降っていたので地下道を使ってしまい、迷いながら30分以上もかかってしまいました。
それでも39階からのすばらしい眺めには、とても驚いた記憶が今でも鮮明に残っています。眺めのよさと内装や什器備品の雰囲気から、社長のいうエクセレントカンパニーの本社はこういうものか、と感心させられました。
つづく…