TPO
アイビーがわが国にもたらしたものとして、TPO(Time Place Occasion)という概念がある。これは、前述の3つのの頭文字をとった略語で、時、場所、場合に即した服装をすべきという意味。その後、服装だけにとらわれず、マーケティングの概念にもなっている。
アイビーの教科書においては、このTPOがとても強調された。いくら上等な服やカッコイイコーデであったとしても、それが場違いなものであるならば、まったく意味のないものであるどころか、有害でさえあるという勢いであったことを強烈に記憶している。
自分で考えられない
ところがこのTPOという概念を若いころから訓練してこなかった世代がだんだん増えてくと、「なにを着て行ったらいいのかわからない」という現象がみられるようになってきた。
このBlogの読者であれば、思い当たるフシがあると思うが、まず顕在化するのは、就職活動の場面である。なにも指定しなければ無難にリクルートスーツを着てくるのだろうが、活動初期のカジュアルな集まりなどで「服装自由」などというと、途端になにを着ていけばいいのか?となってしまうのだ。
ここらへんはファッションというよりは、服装術というマナーをアイビーで学んでこなかった弊害なのだと思う。ようはTPOという概念を知っていて、自分なりにその場の目的を踏まえて、どんな服装をしていくのがいいのか、考えることが必要なのだ。
服装の基本
服装の基本は、「相手に対して不快感を与えないこと」である。同じような趣味嗜好や価値観のなかでは、その幅は広くなるし、世代や生きてきた環境が違えば、その幅は狭くなる。
その許容範囲や方向性をTPOという概念で理解することができる。また、アイビーやトラッドといった分野の教科書には、基本的な部分で「ねばならぬ」式のルールが紹介されているので、そのルールを理解しつつ、自分なりに変化をつけていくことで、どこまでいけるか、という感覚が養われるのである。
教育の役割
店主は、制服のない高校へ通った。当時住んでいた街のなかでは、公立高校で3つ、私立高校で1つと4つしかない私服通学の高校であった。それが志望動機ではなかったものの、高校時代の私服通学ではずいぶんとTPOを考えることを訓練された。
わが国の人々は、考えることがあまり意味を持たず面倒な場合、お上や組織に決めてもらいたがる。周囲の人々と違ったことをして外れることを好まない。この同調圧力の強さや考えることを放棄する楽ちんさを醸成してきたのは、学生の制服文化ではなかろうか。
行動様式への影響
以前、女子の事務服を廃止しようとしたところ、これは労働条件だといわれて飛び上がるほど驚いた覚えがある。店主としてはイマドキの女性たちなのだから、制服を強要されるよりは、好きな服を着飾りたいであろうと考えていたので、衝撃を受けた。
これは服装だけには限らない。自分で考えることを放棄して、お上や会社、上司などにルールを決めてもらいたいという声は、会社の管理部門に勤めている読者であれは、納得いただけると思う。これは学生時代に考えることを教育してこなかったことが大きいのではないだろうか。
制服文化の見直し
もうそろそろ、わが国も制服文化を見直す時期にきているのではないだろうか。社会人になってはじめてTPOを考えて服装を決めるのでは遅すぎる。学生時代であれば、TPOで失敗してもたいしたことはないが、おとなになってからでは、信用問題にも影響してくる。
そういった考えさせる訓練こそが、本来の教育だろう。そのために学校にはさまざまな行事がある。その行事にあわせてTPOを考えさせ、訓練することで、おとなになったときにはじめて責任ある服装ができるのだと思う。