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人事屋修行記(第127話)

人事企画室

栃木の研究所に転勤して半年も経たない2011年のはじめ、人事企画の専任部署を立ち上げるという話しが持ち上がりました。人事の企画専任として8ヶ月やってきたわけですが、企画の専任メンバーを置いたことが、思いのほかテーマが進むことに気をよくした上司の管理本部長が、その部隊をお膝元に置いてスピード感を上げたいと考えたようでした。

 

前々職の会社では、組織規定の運用で1部1課などという組織はNGでした。管理本部長がダイレクトに指示命令を出すには、部レベルの組織である必要があります。一方で人事企画のメンバーは当時店主と部下の2名だけ。部レベルでありながら下位組織の課を持たない組織単位は「室」として運用しており、メンバーの規模感から室で行くことになりました。

 

責任者には、フィリピン現法の社長をやっていた部長クラスの方が戻ってきて就くことになりました。ずっと人事畑を歩んできた50代後半のスペシャリストで、合併時は当時の人事企画のメンバーとして制度整合などを手がけた人でした。店主が人事労政の係長時代に半年ほど課長をやってもらって上司部下の関係だったこともありました。

 

その後総務部長からフィリピンの社長として駐在していたのですが、現地では工場の閉鎖と現地法人清算という難易度の高いミッションをこなし、年が明けて帰国してきていました。治安のよくない国での雇用や賃金に関わる処理は、ときに命の危険を伴うレベルの案件であり、フィリピンなどはまさにそういうお国柄でした。

 

 

現地法人清算のミッションは駐在当初から決まっていて、それに向けて2、3年をかけて周到に準備をして進めてきていましたが、さすがに最後に従業員に説明をして退職してもらう段階になると、とてもシビアなやりとりが続いたそうです。一方、管理本部長の方からは、案件の進め方などについて相当細かい指示が出ていたようで、戻ってきた方との間では相当衝突があったようでした。

 

しかしながら定年を数年後に控えて、あらためて人事部長に就けるわけにもいかず、人事企画室の責任者として部長クラスの適任者もおらず、管理本部長としても関係性がギクシャクしていながらも、人事企画室長として任用せざるを得ないと腹をくくったようでした。

 

結局、店主と後輩と、フィリピンから戻ってきた室長、そして人事課時代に店主の片腕としてテキパキと事務作業一切をこなしてくれた5年目のスーパー派遣社員の4名体制で人事企画室はスタートすることになりました。

 

前年の9月に新宿から栃木に転勤したばかりでしたが、また新宿に異動が決まり、2月末には社宅を探しに行きました。これまで新宿勤務は3回経験していましたが、毎回中央線の西荻窪に住んでいました。駅前にオープンエアの焼き鳥屋さんがあり、そこが学生時代からお気に入りだったのが理由です。

 

今回も西荻で探したところ、昨年まで住んでいたマンションに空きがあり、物件を見せてもらうとなんと同じ部屋でした。気に入っていた部屋だったので迷わず即契約。新築から1年半入ったマンションに再度入居することになったのでした。

 

つづく…