Cafe HOUKOKU-DOH

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IVY Note No.2

衣料品業界の特徴として、在庫の問題がある。在庫はキャッシュフローを圧迫し、売れ残りはリスクとなる。すべての商売が目指す究極の姿は在庫ゼロである。

 

石津氏は若者にターゲットを決めた。当然価格帯は安価でなければならない。安価にするには大量生産が必要だが、これは在庫を増やす結果になる。ここで一般的には流行を作り出して、新しいものを買うという消費行動を起こさせるのだが、彼の発想は違った。

 

ベーシックなモノをつくり続けて、VANというブランドが学校になるというものであった。学校は3年生が卒業しては、新入生が入ってくることを毎年繰り返す。つまり顧客の方が回転していくのである。

 

そうすることによって、同じデザインの洋服でも毎年新しく入学してくる顧客層に売れるのである。これは売れ残りのリスク回避ほほか新規開発費の削減という副次効果も生み出した。

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当時男性ファッションは無法地帯であった。男性に対する服飾というサブカルが存在しなかったので、なにをどう着ればいいのか、わかる人材が存在しなかったのである。

 

そこで石津氏は徹底的にベーシックなアイテムをベーシックに組み合わせて着ることを推奨した。いや推奨などという生易しいものではない。ルール化したのだ。当時のIVYを知る方々は大いにうなずくと思う。「ねばならぬ」式のルールが、VANショップの店員や雑誌などから盛んに教えられたのだ。

 

このスーツにはこのシャツ。このシャツにはこのネクタイ。このスーツには靴はこれで靴下はこれ。というように事細かにやかましくいわれたのであった。まるで宗教の教義のように。

 

しかし、これにはメリットデメリット両面があった。わが国の芸術・技芸などでよく言われる守破離である。まずは代々伝わる型という基本形をしっかりと身に着け、そのうえであえてそれを外し、さらに表面上はまったく違った境地に達するという意味である。

 

わが国の男性ファッションが明治維新で途絶えたにも関わらず、伝統ある欧州各国と比較しても見劣りしないのは、この型を刷り込むことによって、洋服の伝統を一気に吸収できたところが大きい。

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一方でこの堅苦しい「ねばならぬ」が、IVY凋落の一因だったことは間違いない。しかし、この洋服の基本形を身に付いた人材が後のわが国のファッションやカルチャーの発展に大いに貢献したことも事実であろう。

 

当時の洋服というのは、その種類別に専業が一般的であった。スーツはスーツ屋、シャツはシャツ屋でそれぞれを購入するというものだ。そんな中VANは一つのブランドで身に着けるモノがすべてそろうトータルコーディネイトができるようラインナップしたのであった。

 

また、ファッションに関する人材不足には、雑誌を媒体として情報を発信していった。男の服飾(のちのメンズクラブ)という当初は業界紙であった雑誌に、石津氏はせっせと記事を執筆し、IVYの何たるかを語っていったのであった。

 

このように石津氏によるVANというブランドは、わが国の男性ファッションというサブカルの土台を築くうえで大きな功績を残しただけでなく、ビジネスモデルをも含め、極めて革新的なものであった。